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うんの話

最近、運について
人と話すことが多い。
 
成功体験した理由として
「自分は運がよかっただけ」
とか、
「あいつは運が良かっただけ」
とか。
 
そういう話を聞くと
なんとなく、しっくりこない。
 
謙遜で言っているのか、
皮肉で言っているのか。
 
言っている本人は
意識していないだろうけど、
聞いている側としては、
結局、「運」が最強、と
聞こえてならない。
 

 
いやー
そんなわきゃないよ、と思う。
 
たとえば、
宝くじを買っていないのに、
運さえあれば、宝くじにあたる…
なんてことはない。
 
…というように、
きっかけがないと
運って発動しない。
 
だから、宝くじの運に当たるには、
少なくとも1枚はくじを買う必要がある。
 
宝くじの「運」は、買った人にしか
やってこない。
それに毎週コツコツ努力(宝くじを買う)を
続けていれば、可能性も上がる。
 
ということは、
運っていうのは、結局、
自分の意志に原因があると思う。
 

 
興味があったり、
好きだったり、近づきたいと
思う日々の意志が
なにかに結びつく瞬間、
それを「運」と呼びがちなのだと思う。
 
だけど、それをただ単に運と言うのは
もったいない気もする。
 
「こちとら、毎日こつこつ、
宝くじ買い続けていたんだぞ」
という面はしっかり見せて
いいのにと思う。
 
あるいは、本人はその積み重ねを
努力とも意識していないから、
気が付いていないのかもしれないけど。
 

 
また違うパターンの話だと、
背が高くて、顔もいいが、
人前にでるのが不器用な友人の話。
 
その友人は大学生の頃、
二子玉川で数人で遊んでいたが、
その日は風邪っぽく、
額に手を当てると熱かったので、
一人だけ先に帰ることにした。
 
駅までの道を、冷めた顔で
ふらふらあるいていたら、なんと、
モデルのスカウトに声をかけられたという。
 
名刺を渡され、足のサイズを聞かれた…と
言っていたが、
彼は、見た目こそ悪くないしろ
最強の内気を兼ね備えている。
人前に立つことなど、
恐ろしくて、考えただけでも
気を失いそうになる。
 
モデルという仕事に興味があるなら
飛びつくんだろうけど、
人見知りの上に、体調も悪くて
早く家に帰りたい彼が
あの日、スカウトに
声をかけられたのは、
果たして
「運がよかった」と、
いえるんだろうか。
 
自分がそうしたい、という
意志がなかったら、運もなにもない。
逆の言い方をすれば
運だけで何かがうまくいく、
ということはあり得ない。
 

 
もしも、やたらと「運」という人がいたら、
水面下でうごく、人目に触れない
大きい力を見過ごしているんだな。

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