うんの話
最近、運について
人と話すことが多い。
成功体験した理由として
「自分は運がよかっただけ」
とか、
「あいつは運が良かっただけ」
とか。
そういう話を聞くと
なんとなく、しっくりこない。
謙遜で言っているのか、
皮肉で言っているのか。
言っている本人は
意識していないだろうけど、
聞いている側としては、
結局、「運」が最強、と
聞こえてならない。
*
いやー
そんなわきゃないよ、と思う。
たとえば、
宝くじを買っていないのに、
運さえあれば、宝くじにあたる…
なんてことはない。
…というように、
きっかけがないと
運って発動しない。
だから、宝くじの運に当たるには、
少なくとも1枚はくじを買う必要がある。
宝くじの「運」は、買った人にしか
やってこない。
それに毎週コツコツ努力(宝くじを買う)を
続けていれば、可能性も上がる。
ということは、
運っていうのは、結局、
自分の意志に原因があると思う。
*
興味があったり、
好きだったり、近づきたいと
思う日々の意志が
なにかに結びつく瞬間、
それを「運」と呼びがちなのだと思う。
だけど、それをただ単に運と言うのは
もったいない気もする。
「こちとら、毎日こつこつ、
宝くじ買い続けていたんだぞ」
という面はしっかり見せて
いいのにと思う。
あるいは、本人はその積み重ねを
努力とも意識していないから、
気が付いていないのかもしれないけど。
*
また違うパターンの話だと、
背が高くて、顔もいいが、
人前にでるのが不器用な友人の話。
その友人は大学生の頃、
二子玉川で数人で遊んでいたが、
その日は風邪っぽく、
額に手を当てると熱かったので、
一人だけ先に帰ることにした。
駅までの道を、冷めた顔で
ふらふらあるいていたら、なんと、
モデルのスカウトに声をかけられたという。
名刺を渡され、足のサイズを聞かれた…と
言っていたが、
彼は、見た目こそ悪くないしろ
最強の内気を兼ね備えている。
人前に立つことなど、
恐ろしくて、考えただけでも
気を失いそうになる。
モデルという仕事に興味があるなら
飛びつくんだろうけど、
人見知りの上に、体調も悪くて
早く家に帰りたい彼が
あの日、スカウトに
声をかけられたのは、
果たして
「運がよかった」と、
いえるんだろうか。
自分がそうしたい、という
意志がなかったら、運もなにもない。
逆の言い方をすれば
運だけで何かがうまくいく、
ということはあり得ない。
*
もしも、やたらと「運」という人がいたら、
水面下でうごく、人目に触れない
大きい力を見過ごしているんだな。
2018/09/07