ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

いのちの延長線上

ノートパソコンや本などを
たくさんつめた手提げが
ぐっと掌に食い込む。

「おもい、おもい」
と唸りながら、ようやく
家に着いたので、
ひとまず荷物かけのフックに掛けると
「あー楽になった。」って思う。

さっきまでの「重さ」は、
きれいさっぱり消えた。

…と、大抵の人は思うのかもしれない。
でも、そんなわけはなくて、
重みは、今度はフックにかかっている。

フックは無言で唸っている。

洗面台の縁に置いた歯ブラシが、
なにもしていないのに
カランと落っこちると、
「え!なにもしていないのに
おちた!」
とびっくりする。

これも、重力のことを考えれば、
当然のこと。

なにもしなければ、
力はかからない
というわけがない。

あ、そうか、
地球上のものは、休むことなく
重力でひっぱられ続けているんだった。

…そんな目線でこの詩を読むと、
感じることも増えるはず。

「つけものの おもし」
(まどみちお)

つけものの おもしは
あれは なに してるんだ

あそんでいるようで
はたらいてるようで

おこってるようで
わらってるようで

すわってるようで
ねころんでるようで

ねぼけてるようで
りきんでるようで

こっちむきのようで
あっちむきのようで

おじいのようで
おばあのようで

つけものの おもしは
あれは なんだ

ただ、「ある」ということで
生まれる効能。つけものいし。
ふつう見過ごしてしまうよね。

4歳くらいの男の子が、
道路を横断しながら
「あ、たんぽぽ!」と指さした。

すんごいちっちゃいけど、
ほんとだ、たんぽぽ。
よく見つけたなあ。

その時、ふと
19世紀中ごろのドイツの文学者
シュティフターという作家を
思い出す。

「石さまざま」という短編集の序として
書いている文章が心に残っているんだけど

「風の吹くこと、水のながれ、穀物の生長
海の波だち、春の大地の芽ばえ、
空の光、星のかがやき、これらを
わたしは偉大だと考える。
壮麗におしよせてくる雷雨、家々を
ひき裂く雷光、大波を打ち上げる嵐、
火を吹く山、国々を埋める地震などを、
私は前にあげた現象より偉大であるとは
思わない。」

この人は、なんでもないような
小さなことの方が、偉大だと言っている。

幼年期のようにまだ科学の知識がない頃は
雷や、火山、台風など、大きな個々の
現象に注目しがちだけど、

理解力がひらけてくると
法則をとらえ、些事なことへの大きさを
感じる力が姿を現すんだって。

それは、人の気持ちでも同じで、
激しい喜怒哀楽は、実は小さい事だっていう。
平凡でいて素直なことの方が、偉大だって。
(だからこの人の書く小説は、
地味だと批判されがち、らしいけど。)

信じられる?
「つけもののおもし」みたいに、
あなたや、ぼくが
「ただ、ここにいる」っていうこと自体が、
すごいんだぞ、って言っている。

さいごに、もう一つ。
「カキ」
(まどみちお)

カキの木に カキが なった

ヘチマのように ぶらさがるのでもなく
スイカのように ころがるのでもなく
ブドウのように かたまるのでもなく

カキが なるように して
カキが なって
空に 夕日を ちりばめた

そこで 空 ゆく カラスが
カラスらしく
いいかあ いいかあ うれたかあと 聞き

庭の めウシが めウシらしく
もう いい もう いい
もう もう じゅんぶんと 答え

さて それならばと ぼくが ぼくらしく
空へ よじって のぼりはじめた

カキが熟れたら、カキを食う。
素のままの自分でいること、
何万年かのいのちの延長線にある
「自分らしさ」をイメージするだけで
なんか心が和らぐ気がする。

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