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「不安」は「違う」ではない説

最近読んだ本のなかで
妙に覚えているタイトルがあります。

普段は、次から次へと忘れてしまうんだけど
その本だけは、なぜかくっきりと
思い出せるんですよね。

それには理由があって。
ぼくはその本のタイトルを
おまじないのように
よく頭の中で繰り返しているから
なんです。

「違うこと」をしないこと
吉本ばなな(角川文庫)

という本なんだけど。

自分の軸がぶれない、というのは、
自分自身に無駄な負荷がかかっていない、
つまり、楽に立っていられるということで。

違うことをしていると
姿勢のズレがどんどん大きくなり、
立つのにも一苦労…なんてことがあります。

そんなときに、この言葉を
意識すると役に立つんです。
これは違うかな?どうかな?と仕分けする。

なにしろ「違うこと」に気が付くことって
意外とむずかしい。

さて、ここからが本題なんですが
ふと思ったのが、

「違うこと」をしないことって、
「する」方に注目することばだよなと。

つまり、「する」を「しない」に
変えていく力の流れっていう感じ。

でも、その逆で考えてみるのも
ありだよなあと思ったんです。

「違うこと」をしないこと
ではなくて、
「しないこと」が違うこと、
ということもある、と。

言葉にするといきなりややこしく
なっていくんだけど…。

ついつい「する」立場だけで
違う、違わない、の判断を
しがちなんだけど、
けっこうあいまいなことも多くて。

そんなときは、
「しない」立場からも考えてみると
よりはっきりするんです。

大学生のころ、
とある小学生向け塾の採点スタッフを
していたことがありまして。

そのときの先生が、シンデレラの
継母みたいな方で、失敗するたびに
いやーな感じでいびられて、
憂鬱な気持ちになっていました。

子供たちがかわいくてかわいくて、
なんとか我慢できていたのですが。

それでも、だんだん通うのが
本当に嫌で不安で仕方なくなってきて
早くやめたい、と思う日々だったんです。

でも、不思議なことに
やめる!と強く決心しようとするたびに、
やめた後の自分が、
本当の自分ではないような気がしてくるんです。

嫌だけど、今やめるのは違うぞ、と。
その気持ちは説明できないけど
確固たる気持ちはいまでも
覚えています。

できるだけ自分の本心に忠実に
なろうと心がけていても、
していること(これからすること)の
違う、違わないの判断が
うまくできないこともあります。

そんなときは、
とりあえず、しない、と考えてみる。

すると、
しないってのも、違うか。
という気分になったりするもの。

特に、未知のものにトライするとき。
心配が余計に働いて
ぽっとわいて出た不安から、
即刻「違う」と判断するのは
どうかなと思うんです。

「不安」と「違う」はまた別物だから、
そのあたりがあいまいになったら、
「しない」側から一度考えてみることを
おすすめします。

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