「不安」は「違う」ではない説
最近読んだ本のなかで
妙に覚えているタイトルがあります。
普段は、次から次へと忘れてしまうんだけど
その本だけは、なぜかくっきりと
思い出せるんですよね。
それには理由があって。
ぼくはその本のタイトルを
おまじないのように
よく頭の中で繰り返しているから
なんです。
*
『「違うこと」をしないこと』
吉本ばなな(角川文庫)
という本なんだけど。
*
自分の軸がぶれない、というのは、
自分自身に無駄な負荷がかかっていない、
つまり、楽に立っていられるということで。
違うことをしていると
姿勢のズレがどんどん大きくなり、
立つのにも一苦労…なんてことがあります。
そんなときに、この言葉を
意識すると役に立つんです。
これは違うかな?どうかな?と仕分けする。
なにしろ「違うこと」に気が付くことって
意外とむずかしい。
*
さて、ここからが本題なんですが
ふと思ったのが、
「違うこと」をしないことって、
「する」方に注目することばだよなと。
つまり、「する」を「しない」に
変えていく力の流れっていう感じ。
でも、その逆で考えてみるのも
ありだよなあと思ったんです。
…
「違うこと」をしないこと
ではなくて、
「しないこと」が違うこと、
ということもある、と。
言葉にするといきなりややこしく
なっていくんだけど…。
ついつい「する」立場だけで
違う、違わない、の判断を
しがちなんだけど、
けっこうあいまいなことも多くて。
そんなときは、
「しない」立場からも考えてみると
よりはっきりするんです。
*
大学生のころ、
とある小学生向け塾の採点スタッフを
していたことがありまして。
そのときの先生が、シンデレラの
継母みたいな方で、失敗するたびに
いやーな感じでいびられて、
憂鬱な気持ちになっていました。
子供たちがかわいくてかわいくて、
なんとか我慢できていたのですが。
それでも、だんだん通うのが
本当に嫌で不安で仕方なくなってきて
早くやめたい、と思う日々だったんです。
でも、不思議なことに
やめる!と強く決心しようとするたびに、
やめた後の自分が、
本当の自分ではないような気がしてくるんです。
嫌だけど、今やめるのは違うぞ、と。
その気持ちは説明できないけど
確固たる気持ちはいまでも
覚えています。
*
できるだけ自分の本心に忠実に
なろうと心がけていても、
していること(これからすること)の
違う、違わないの判断が
うまくできないこともあります。
そんなときは、
とりあえず、しない、と考えてみる。
すると、
しないってのも、違うか。
という気分になったりするもの。
*
特に、未知のものにトライするとき。
心配が余計に働いて
ぽっとわいて出た不安から、
即刻「違う」と判断するのは
どうかなと思うんです。
「不安」と「違う」はまた別物だから、
そのあたりがあいまいになったら、
「しない」側から一度考えてみることを
おすすめします。
2022/05/25