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「いいかげん」である

最近は、読みたい本がkindleで
出ていると、なるべくそちらで
買って読む。

最速で手に入るし、
外出られないし、
配送してもらうのにも
忍びない気持ちだから。

kindleは、
表紙を眺めるとか、ページの移動など、
リアルな本に比べると
なかなか直感的ではなく、見にくいが
文字の大きさや、背景の色、
フォントも好みにアレンジできるのが
いい。

あとは、慣れってかんじ。

何を読んでいるかというと、
世界を、こんなふうに見てごらん
(集英社文庫)
日髙敏隆著
を読んでいるんだけど、

著者の日髙敏隆といえば、
生物から見た世界」の翻訳をしたりなど、
動物行動学を開拓した人。

読んで面白いなと思うのは、
科学的なこととか、
理屈が通っている、
と思っていることは
全部イリュージョンなんだって、
言っている。

(これは、前々回の作文で書いた
「生物から見た世界」の
環世界的な考え方そのものだなあ、
と思う。)

ものすごく噛みくだいていうと、
結局、見えて起きているすべてが
「ぜんぶ主観じゃん」って言っている。

キャッチコピーや、小説や、
大衆の動きなどに心動かされたり、
「占い」でもそうだし、
なにか永久に不動の真理が
一つあるんじゃなくて、

なにをどうとらえるか、
全部が自分のさじ加減なんだよ、
結局さ。と言っている。

要するに、いいかげんなんだって。
それが、うれしいのも、かなしいのも、
辛いのも、
そう見えたり、見えなかったりする
時々のいいかげんさに因るんだって。

絶対的にこれは、こうなんだ
ということがない。
どのような「まぼろし」をみちゃうかは
人それぞれ。

(その、まぼろしを「みちゃう」という、
“多くの人が無意識にもっている
自動反応装置な部分”にも興味がある
けど、それはまた別の話…)

以下引用
「人間はイリュージョンという変なものを
持っている存在なのだと認めると、
たとえば生物学的に猿と人間は近いというが、
ぼくにはそれがかなりいいかげんなことに
思える。
人間の姿のもとが猿にある、そんなこと、
ほんとうかいなと。

動物を見ていると、決してそういうふうに
進化していると思えない。
鳥のもとは魚だというが、
進化ということひとつとっても、
そうとうにイリュージョンが
入り込んでいるのだろう。」

「人間の認識する世界はそういうものだと
うけとめるいいいかげんさがないと、
逆に人間はおかしくなるのではないか。

かたわらにいつも、
これはイリュージョンだという悟性を
持つこと。

ゆらぎながら、引き裂かれながら、
おおいにイリュージョンの世界を
楽しめばいいと思うけれど、
結局はさじかげんなのだと思う。」

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