「分かるまで」読書法
興味のストライクゾーンに
ばしっとくるものが見つかると、
とてもうれしい。
分かった!という気持ちになれるところがいい。
今までもやもや考えていたことが
はっきりしたぞ、とか、
考えがまとまったぞ、と思えてくる。
自分は、何が好きで、
何に興味があるのか、という
自分の現在の状態って
かなりうやむやに、かつ漠然として
日々過ごしてしまうけれど、
「いい出会い」があると
そういう曖昧にしていたことを
とり戻せたような気持ちになります。
*
ぼくの場合、多くは本との出会いが
そうさせるんだけど、問題は、
「分かったぞ!」と思うことがあっても、
それを人と共有しようとすると、
途端に分からなくなる。ということ。
どこをどう、何て言えばいいのか…。
やっぱり分かっていなかったんだ、と
ふりだしに戻ってしまう。
どうすれば、本当に分かるように
体得できるんだろう。
読んでいるときは、まるで催眠術に
かかっているかのように
全てが明瞭に思える。
けれど、本を閉じると、なにも頭に
残っていないことに気がつく。
分かったような気、だけして、本当は
よく分かっていなかったのだと思う。
*
物理学者のファインマンは
読書の仕方について
こんなことを言っています。
まずはこう。
「わかろうがわかるまいが
遮二無二しまいまで読む方式」で
とにかく読み進める。
次にこう。
「最初から始めて、
わからなくなってしまうところまで
読むのさ。それからまたはじめから
読み直す、というふうに全部を
読み通して理解できるようになるまで
読むんだ。」
難しい論文が書かれた本などを
読む場合にそう言っているけれど、
小説でも、絵本でも、
同じことが言えるように思えてくる。
「分かった気になる自分」を仮想敵に
仕立てて、そうはさせまい、
それがなんなのか、自分で考えて、
ちゃんと分かるようになるまで
何度も読む。
ということをしないと、
と思い直しています。
2013/11/17