worksは8/24に更新しました.

真のおまけ…とは。

大変勉強になった。
と思うことがある。
 
とある療育施設で定期的に、
企画から現場まで関わらせて
もらっているのだけど、
その度に「勉強になりました」と
決まり文句のように言ってしまう。
 
実際、本当に勉強になったことを
自覚できているのだけど、
だんだん「勉強になりました」
と挨拶だけが独り歩きをして、
勉強しているぞ、
という「気分」に満足しまう。
危険だ。
 
そこで、それがなんだったか、
簡単に振り返っておきたい。
なにが勉強になったと思えたのか。
つまり、なにが現世ご利益的に
利用価値のある経験だったのか。。
 

 
以下、箇条書き。
 
●導入に必要なキャッチーさは
あれ、これ、それ、と
指さして分かるもの。
(前にも作文書いたので、
詳しくはそこを参照のこと)
 
●あとは、知識の範囲を知ること。
相手がどこまで知っているかを
感覚として把握できていたい。
 
…言葉って、不思議なもので、
それって何?と聞きだしたら、
永遠に質問できちゃう。
する方も、される方も、
実にめんどくさい。
 
理解の終着単語を
事前に分かっていたい。
 
「公園があってね…」と話すとき、
相手が「こうえんってなに?」状態だと
会話を続けるのが難しくなる。
 
「滑り台とか、砂場とか、ぶらんこが
あるところ。」
と説明しても、どれも知らなかったら、
「滑り台は階段を上って、坂を
お尻で滑って降りるあそびだよ」
と言っても、きっとピンと来ない。
 
日常生活で、公園に行こう!って言って
実際に滑り台ですべったり、
ぶらんこしたり、砂場で土を掘ったりして、
ようやく「公園」という単語を聞くだけで
楽しかった記憶とともに、理解として
伝わる。思えば当たり前の話だけど。
 
知識の範囲=その子の日常生活パターン
ということも教えてもらった一つ。
 
もっというと、
たとえば、こんなルールを説明してみる。
「君が持っているお菓子を
友達が持ってきた丸いカードと
交換する遊びをしよう。」
多分、これ、大人でも理解は難しい。
え、なんで?なにがたのしいの?と。
 
これも日常に即して、言い方を変えると
「お店やさんごっこをしよう!」
で済むし、わくわくも伝わる。
 
大人ならやったことない事でも、
ルール説明をすれば大体伝わるけど、
未就学児の場合、
日常の経験として、
子供がどういう場所で行動して
刺激を受けているか、に即した
「伝え方」をした方がいい。
 

 
あと、もうちょっとあって、
企画をするときに、
「これは為になるから、
子どもたちにさせたい。」
という魂胆をたてるのだが、
実際本当に「させる」企画になると
確実に失敗する。
 
させる、のではなく、
したいと思ってくれるような
環境設定や、
わくわくするような作り込みを
施したい。
 
子供はたぶん、人間史上最高に
感受センサーの感応度合が半端ない。
 
発するより、五感で受け入れる
刺激の方が圧倒的に多い。
 
「やりたい!」と思うのは、
基本的には、みたことあること、
大雑把に言うと大人の真似。
 
かみ砕いていうと「ごっこ」。
お店なら、おきゃくさんがいて、
お金を払うと、欲しいものがもらえる。
というシステムが分かる。
 
「ごっこ」についての知識があれば
ざっくりとルール設定は省ける。
 
「バスごっこ」も、
運転手がいて、お客さんを乗せる…など
生活の中で理解しているシステムが
あれば、伝わるし、
(よりわくわくするように伝えるには
臨場感のある舞台の作込が必須…)
ごっこ遊びがうまくはまれば
そこに「させたいこと」という
大人の意図を盛ることもできる…
 

 
大分長くなったけど、
実はここからが本題。
 
「ことばサーカス」の絵本に
付けるおまけ問題。
これをどうしようかと。
 
この問題がどう問題なのかは
省きますが。
 
さっき「勉強になった」ことを
活かすと…
●導入の「あれこれそれ」は、
本編にて提示するとして。
 
●「みたことある」「やってみたい」
と思わせる日常の体験も、
絵本の物語として提示しているとして。
 
●問題はごっこあそびとして
どう成立させようかということ。
 
ことばあそびの一つの側面として、
「すごい技巧」がある。
 
回文もそうだし、アナグラム、掛け言葉、
などなど。
ある意味、アクロバティックであり、
サーカス的である。
 
「こんなのどうです?」
「わーすごーパチパチ」
というスタイルが言葉遊びにはある。
 
サーカスの芸とリンクする。
一種のエンターテイナー。
 
これがごっこあそびとして
行けるなと思う。
 
つまり、
サーカスの演者のように、
自分自身がエンターテイナーとなって、
どや顔してもらうこと。
 
ありもののネタをしてもいいし、
自分で作ってもいい。
 
家族だけで分かればいい言葉だってある。
たとえば飼猫の名をもじるような。
 
それをやるための舞台キットを作りたい。
自分もそこでサーカスしたい
と思えるような、装飾的な絵を描き込んだ
舞台装置の作り込みを。
 
ということで、ミニ紙芝居キット(枠付き)
どんなネタでも、ちゃんとオチるような
演出づくりまでやりたい。
 
真のおまけとは、
ごっこあそびである。
と、結論づけます。
 

 
余談だけど、
装飾的な絵というと、
ロシアのビリービンや、
センダックを思いだす。
 

 

ごちゃごちゃしているけど、
抽象的な模様というよりも
具体的な要素が、様式化されて
にぎわっている。
 
いいなー。
 

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