ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

90日間毎日似顔絵描いて思うこと

似顔絵はむずかしい。

似顔絵のバロメータを2つに分けるとしたら
「似せる」と「かわいく」。

このふたつの均衡がうまいこと
とれるといいのだけど、なかなかむずかしい。

まずは「似せる」について。

よく有名人が一般の方と結婚されたとき、
「相手の方はどんな顔立ちですか」と
似顔絵を描かされることがありますよね。

真面目なひとほど、
似せようとおもって、
鼻の形や、笑った時にできる頬の線や
目じりのカーブ、口からのぞかせる歯、
こまかいシワなど、
しっかり再現しようとする。

すると、大体が不細工に見えてしまう。
なんか、怖い…みたいな絵に。

ちょうどこんなかんじに。

ふつうに目をちょんちょんで、
口をニコって描けばかわいくもなるけど、
それだと似ない。
だからこうなってしまう。

人間の目はふしぎなもので、
その人をよーく見ると、
笑うとシワもできるし、
鼻の下にハマジみたいな2本の線が見えるし、
鼻の形も穴もドデ―ンとしているのに、

じつのところ、そうは見ていない。
余分なものとして、普段は見ていない。
見てるけど、意識にのぼらないというか。

でも、いざ似顔絵を描くと意図せず
強調してしまって、違和感につながっちゃう。

仮に「似せる」を極端まで突き詰めても
写真になるだけで。
写真には、それ以上も以下もない。
いつも見ている自分と同じだから。

つまり、「似せる」だけでは絵としての
限界があるんです。

ぼく自身、似顔絵を描いていて
勉強になったり、おもしろいなと
思ったのは、似せる方の目線でした。

顔はもちろん、体のボリューム感、
服のシワや模様などの様子など、
こまかいところ、
見えている面積の狭いとこほど、
しっかり観察して描くと
光や質感やボリュームが出せる。

面白いけれど、
それをやり「すぎて」しまうと、
絵としての味わいがなくなってしまう。
だんだん、写真でいいじゃんって。

そこで、登場するのが「かわいさ」。

多少似ていなくても、
かわいければ、喜んでもらえることが
経験上多いんです。

それには、ちゃんと理由があって。

たとえば、ホウレイ線があっても
そのまま線をずずっと描くと、
やっぱりかわいさが無くなる。
違和感がにじみ出る。
たしかにホウレイ線はあるにはあるけど、
こんなにくっきり出ていたかしらと。

でもかわりに
とても短い線をくちもとにちょんと描けば
それがホウレイ線ではなく、
わらった口元になる。とか。

顔をクシャっとして笑った眉間も、
ぎゅっと力の入った感じにするには、
その通りにしわを写し取るのではなくて、
点にも近い、短い線をベストな位置に1つ
ちょんと入れるだけで、らしさがでる。

要するに、人が人を見る時って
そもそもデフォルメしてみているんだな
っていうことが分かる。

だって、デフォルメした方が、
端的に「らしく」、「かわいく」描けるから。

あとは、まったく別の要素だけど、
絵を描くとき、心の乱れ、がとても影響する。

イライラするとき、集中できないとき、
時間に追われて焦っているとき、
雑念オンパレードで、いい絵にならない。

「ぐりとぐら」を描いた大脇百合子さんは、
絵を描く時は、お茶の時間のときみたいに
リラックスして描くのがいいと
言っていました。

あれは、実は、描く側というより、
絵を見る人の立場に立って描くという
ことなんじゃないかなと思う。

絵を描くと、なかなか大変な作業だし、
時として面倒だし、すごく集中力を必要と
するし、描いているときの心の静けさや、
根気、やる気、集中…
よく分からないけど、環境と心と整えて、
かつ決められた時間の中で描くという。
想像するだけで疲れる。

けれど絵を見る人って、そうじゃない。
楽しむために見ているから、
リラックスしているだろうし
もっとその絵からなにかを見つけ出したい
雰囲気とか、気持ちを感じ取りたい、
と自然とわくわくしながら見ている。
(ぼく自身が一読者としてそうだから)

そういう人の波長に合わせて
絵は描く必要があるんです。

だから、気持ちはいつでも
わくわくしていたい。

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