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自由自在の日本語に

江戸から明治にかけて、日本語は
変革の時期であった。
 
江戸以前は方言がもっと地方によって
違ったろうと言われていて、
例えば参勤交代でやって来た地方の家臣の
話すことは江戸の人にはほとんど
聞き取れなかったというくらい。
 
明治の時代になって世界に開かれてから
日本というひとつの国として意識を強めはじめて
発音を統一しようという動きがあった。
 
同時に書き文字にも変化があった。
それまでの公式の文書といえば、
漢文のようなスタイルで、今で言う
古文の時間に勉強するようなもの。
 
これでは読める人に限りがある。
もっと発音と書き文字を一致しようと言う
動きもまたあった。
 
漢字を廃止するとか、
ローマ字表記にするとか、
例えば「構造」という読み方を
こーぞーと書くのが正しいとする
「ー」を活用する方法が取られたり
いろんなパラレルワールドを
覗いている気分になる。
 
実際韓国では漢字を廃止して
ハングルだけだし、
植民地になった国は、自国語ではない
言葉が主流になることもあった。
 
日本でもそうなる可能性は十分にあった。
 
*
 
かくして、いまぼくらが使ってる
表記に落ち着いたのだけど、
それもヨーロッパからの文法という
考え方を取り入れていろんな作法を
作って、それが文化として染み付いた。
 
明治頃の日本語の捉え方と、
今とでは感覚が違うのかもしれない。
変革期であったから、
教育の現場にも影響があったろうし
子供たちにとっても新鮮であったろうな
と思う。
 
いまや言葉は空気。
あるとは知ってるけど別にとくべつ
意識しないで使ってる。
言葉をあんまりにも意識しないで
過ごしていると、
自分が見ている世界は、
じつは言葉の指し示す文化的な事柄や
紋切り型のイメージを
単に行ったりきたりしているだけのように
思えてくる。
 
例えば、
わんわん、といえば犬だし
ちゅん、といえばすずめ。
にゃあは猫
 
これも文化的な紋切り型というもので、
よく聞いたら、犬はわんわんではなくて 
もっと違うのかもしれない。
 
わんわん、と思ったら犬の声はもう
その子のなかでは、わんわんでしか
認識しない。
それで不都合はないし、その方が
人とやりとりするときにスムーズ。
 
そんなことはわかりきっているから、
ほんとにそうなの?
といいたくなる。
 
犬はほんとにわんわん?
よく聞いてみたら…
みたいな問いかけをひとつの絵本かなにかの
種にしてみたい。

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