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ことばの実験室 更新2019/4/23

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いま面白いものは、
無目的だと思うな。

真面目さでも、ふざけるでもなく、
無目的は「ただある」っていう感じ。

発信でも、受信でもなく、
理由もない。

そういうのって、傍から見たら、
かわいいんだろうな。

たぶんだけど、
おじいちゃんおばあちゃんをみて
「かわいい」っていうのは
無為な雰囲気が漂っているから
ではないかと思ったりする。。

最近は、無目的な状態の人を
めっきり見ない。子どもの頃は
あったけどなー。

大体みんな用事があるから、
道を歩いていても、
訳の分からない路地に
入っていったりはしないでしょう?

都心の混雑した駅でも、
ちょっと角曲がると、
がらがらだったり。

休むわけでも
癒されるわけでもなく、
なにもしない。

厳密に言えば「なんとなく」
でもない。
「あれ?」ってかんじ。

散歩するのも、
目的地を設けるのはもちろんのこと
運動のために、気晴らしにと
思った時点で無目的じゃなくなる。

「しなければいけない」も
「やりたい」もない、とする。
なにもしないが
瞑想でもない、
あえて言うなら、ちょっとバカなかんじ。

そういう時間がたとえば5分あれば、
(もし5分耐えられれば)
かなり十分な時間な気もする。

無目的でいることを良しとするには
むずかしい。
無為の時間を作って、
なにかを変えようというのも
魂胆だし。


この画面を見ているあなたへ。
どういうつもりで
ここに来たかは知らないけれど、
あなたの中にあるその「つもり」を
消し去ってみてください。
これから5秒を無為に。

無為でいると身近な事柄ほど、
関係なく
ものすごく遠くにあるものほど、
身近に感じてくるような…。

カレル・チャペック
「 カレル・チャペック の日曜日」
という本に
無為礼賛というタイトルの
エッセイがあるのを思い出した。

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