魂が飛ぶ
自分が小さかった頃のビデオ映像を
見たりすると、
情けなくて恥ずかしいのだけど、
ちょっと面白いことがあります。
そのビデオ映像というのは
保育園の運動会の時のもの。
小さな園の庭に列になって並び、
流行りの音楽に合わせて
みんなで踊るんですが、
カメラの視点がゆっくりと後ろの方に
移動していくと、
最後尾に一人、しゃがんで砂遊びを
している子がしている。
それがぼくだというのです。
みんな練習の成果をたどたどしくも
一生懸命に演じるのだけど、
なぜかその時、ぼくの気持ちは
全く別のとこにいて、違うことに
興味があったんだと思います。
小学校の頃も通知表には、
「人の話を良く聞くように」
と書かれていたし、
高校生の健康診断で、お医者さんの
「はい、息すってー」に
息を吸い忘れたこともあった。
要するに、心ここにあらず、という
状態に陥り易いのだと思ってました。
人生最大の欠点として。
*
友人にすすめられて、
多和田葉子「飛魂」をちょっとずつ
読んでいるのですが、興味深い。
かいつまむとこんなこと。
中国に亀鏡という虎使いがいた。
著名な女虎使いで、女たちは彼女のような
虎使いになるべく、
亀鏡の寺院に入門しようとする。
でも入門できるのはごく限られた者だけ。
その中で「わたし」である梨水は選ばれた。
「知識を蓄積することができず
思考がいつも十転して、行き着く先は
いつも矛盾であるわたしのような者が
それでも採用されたのは、
古代の人々が「飛魂」と呼んでいた
心の働きが偶然わたしの中で強かった
せいだろう。」
寺院に行くまでの道のりで
不安で怖くなっても、
通知の手紙をもらったときのことを
思い出せばおののきの呪縛もとける。
「記憶の中のひとつの状況に魂を
飛ばして、今そこに居るも同然」となること、
これが飛魂なんだって。
心ここにあらず、が
ひとつの才能として描かれている点に
希望が持てるような気がしました。
2013/12/13