worksは8/24に更新しました.

観察と思いのバランス

日記には2種類ある。
 
かなりざっくり分けると、
●思ったことを書く日記

●事柄を書く日記の2つ。
 
今あなたが読んでいるこの作文は、
基本「思ったこと」の作文。
 
残念ながら日々の事柄は
面白くないので、
よほどのことがなければ
書きたいと思えない。。
 

 
ただ、自分だけが見る手帳には、
事柄を書く日記を付けていて
これが便利。
 
なぜなら、
今日は何をして、どこへ行って、
タスクはこれだけやって…
というのを、とことん
忘れてしまうから。
 
ものすごく当たり前な
ことなんだけど…
事柄日記は自分を管理するには
役に立つ。
 
先の予定もしかり。
今なにを優先してやればいいのか、
どれだけやれば今日はOKなのか、
できなかったのは何か、
反省しようにも
前後を覚えていないとできない。
 
だいたいさあ…、って思うんだけど
何したか、何食べたか、
4日くらい経つと記憶はあらかた
忘れちゃう。
 
4、5日書き忘れた時は、
メールや、SNSや、かすかに覚えている
証拠をもとに記憶を手繰り寄せれば
なんとか思い出せたりもするけど、
逆に言えば、
それくらいしないと、
覚えられない。
 
だから、もし自分が
事柄日記を付けないと、
日々の記憶がどんどん遠ざかって
真っ白な霧のなかに一人で
ぼんやり立ちすくんでる気がして
怖くなる。
 

 
ここからが本題なのだけど、
他にも事柄日記のよいところは
「簡単に書ける」ということ。
 
いちいち思ったり、考えたり
する必要がないところがいい。
 
起きたことをそのまま
書けばいいので、
覚えてさえいれば、
書くのに時間はかからない。
 
なにを書こうか迷うこともない。
 
一方、この「思う作文」だと
思わないと書けない。
考えないと書けないから
時々面倒になる。
 

 
がらりと話題を変えるけど、
小説家の丸谷才一が、
「日本の国語教育は、全生徒を
全て小説家か、詩人にするつもりでいる」
といったらしい。
 
読書感想でも、修学旅行の感想でも、
何かと「思ったことを書きなさい」
と強いられる。
もっというと、先生からは
読んだ人の心を動かす文章を
書くのが良いと求められる。
 
それは別にいいんだけど、
無理のある人もいるよとぼくも思う。
 
ぼくも、あまり思わないタイプなので
思いを聞かれても答えられないことが
たくさんある。
 
今度は井上ひさしの言葉を借りると
「よく観察して、なにかを報告する
ということが大事で、
中略~をどう思いますか、というのは
これ、大人に言っても無理な注文なのです。」
 

それなら
「思う」ことの大事さって
どこにあるんだろう、と思う。

 
事柄を書くというのは、
絵でいうデッサンみたいなもので、
たとえば、料理の味を表現したり、
食べてどう思ったか、
ではなく、今日の夕飯は何が出たか、
どんな色で、どんな温度か、などを
書くこと。
 
つまり、観察して書く力は
大事さが分かりやすい。
 
見たものを、報告する。
という使命が分かりやすい。
 
書くなら、できるだけ
詳しい方がいい。
 
なんとなく枕草子を思い出す。
 
ほとんどが事柄。
「思い」の部分はとても単純。
好きとか、きらいとか。
きれいとか、品がないとか。
ほとんどそれくらい。
 
「思い」というのは、
報告をする際の、理由になれば
「たのしかった」「よかった」
「好きだった」で十分なんじゃないか。
 

 
逆に言えば、
観察報告も、誰かに報告するなら、
ちょっとでいいから「思い」は
あるといい。
 
でないと、受け取った方は
「で?」となる。
 
「なぜそこに着目したの?」
→「面白いと思ったから」
→(もし観察が不足してれば)「どこが?」
→「〇〇が」
…と、具体的に指摘されれば、
報告も思いもよく伝わる。
 

 
思いは、思いのたけを書き連ねるより
観察に還元されたい。

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