worksは8/24に更新しました.

本当の意見

自分の考えは、信用ならない。
たいてい迷っているから。
 
コンビニで飲み物を買うにしても、
コーヒーか、炭酸か、それとも
鉄分とか入ってるフルーツジュースに
しようか。
 
ええい、決められん。お茶でよし。
 
と決断しても、お茶にも、
生茶、伊右衛門、おーいお茶、
烏龍茶、etc…などある。
 
前に生茶飲んだから、伊右衛門にでいいか。
と思うと、そこにはさらに、
濃い伊右衛門と普通の伊右衛門がある。
選択肢は終わらない。
 
そこでなにが起こるかと言うと、
「ま、なんでもいいや」現象だ。
 
なんとなく、なんでもいいんだけど、
ま、それで。
 
なにか大事なことを決めるときも、
つい、そういうクセがついて
「なんとなく」決めてしまう事がある。
 
そうなると、
自分の意見が信用ならなくなる。
本当にそう望んでいたのか。
もっと最善の選択があったのでは?
 
だから心の底から求めている
声みたいなモノに憧れる。
必然性のある要望というか。
 

 
そのかわり、というか、
へんなことを変わりに想像する。
 
たとえば、靴が話しかけてくる。
とか。
出掛けに途中まで靴を履いた所で、
「おれを履いてけ」という。
ぼくが顔をあげて
「ジョギング用の靴じゃないか」
と言い返すと、
「いいから、履いてけ」
という。
そんなに言うならそうしよう。
 
そうしよう、と思って
そうしたんだから
なんとなくこころよい。
 
それから、神社の境内にある
大きな樹にも、相談したりする。
すると、結構的を得た、
お小言も、励ましもしてくれる。
 
それこそ、なんとなくの答えでなく
本当のことを言っている気がする。
 
自分のかわりに、だれかのつもりに
なって話すと、
なんか本当らしい気分を
深層心理というのか
呼び寄せられたようなことが
たまにある。

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