worksは8/24に更新しました.

暇が好き

寝るのが好き。
あと暇なのが好き。
あてもなく外にでて、
ぶらぶらするのが好き。
 
とりあえず電車に乗ったはいいけど
どこに行こう、っていうどきどき感。
いいなと思う。
 
そもそも、散歩だと考えれば
目的地を決める必要もない。
家で考えて煮詰まったあとの散歩は
驚くほど簡単に問題が解決したりするし、
気持ちも軽やかになる。
それで、もう散歩の役目は
果たせたことになる。
 
それから、
「暇」はいくらでも作り出せる。
どんなに忙しくても、
それをやらないことにすれば
暇になるんだから。
 
あとは、暇になるのが好きかどうか、
重要だと思うかどうか、
が大事だなと思う。
 
ぼくは圧倒的に暇なかんじでいたいので、
今やらないと死ぬという時以外は、
すべてを放り出して、昼間からあてもなく家を
出たり、寝たりする。
いまやっていることが、本当に面白いのか
どうか、見極めたり、理屈で収まりきらない
部分の面白さをキャッチするのに、
そういう時間は必須だと思うからそうする。
 
でも、本当は肩身が狭い気持ち。
あとで時間のしわ寄せがきて、
苦しい思いをするのを分かっているし、
平日の昼間、郊外へむかう電車に乗り、
小高い丘なんかに登って、
(みんなが頑張って働いているのに…)
という気持ちをよそにうろうろする。
 
それでも考えが捗ると気持ちが軽くなって、
元気になって帰ってくる。
 

 
でも、暇を持つことが残念な感じ
という価値観が、どうもぬぐいされない。
 
200年くらい前のヨーロッパの貴族たちは
(随分大雑把だけど、)
暇を好んだという。
そういうあてもない時間を用いて流行ったのが
科学のサロン。
 
ファラデーによって電気の作り方の元となる
発見があったり、科学が、世界の印象を
がらりとかえるような時代。
ファッションのひとつとして、
貴族たちはこぞって科学の話をしたのだ
そうな。
 
なんだかとっても豊かだなと思った。
ゆったりと考える時間がある、
なにか大切だと思えることに、
やたらむやみと、かつ無駄に時間を注ぐこと。
 
こういうことに、もっと寛容に
なれたらいいのに。
 

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