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悪人の意見

「鉄腕アトム」(1952)
「ゲゲゲの鬼太郎」(1967)
「天才バカボン」(1967)
「ねじ式」(1968)などを
往年の名作だ、と言うことに対して、
今のぼくらに疑う余地はない。
 
生まれた頃から、傑作である、
誰もが好んでいる、みんな知っている、
という一般常識があるから
そう簡単に批判できるものでは
なくなってしまった。
 
言ってしまえば、こんなにも大衆的に
好かれているものを排するなど
卑屈な極悪人くらいだろう、なんて
思われるかもしれない。
 
ところが、そんな人がいた。
びっくりしておののいた。
 
歌人の塚本邦雄という人。
1978年発行の「断言微笑」という
評論集にそれは載っていた。
 
「御機嫌よう、漫画君」という題で、
主に絵の描き方についてこんなことを
書いている。
 
「…このやうに一応も二応も認めながら、
私の漫画、劇画観には根本的な不信感が
つきまとつた。
それは一にも二にも技術に関わる。
何故彼らはかくも拙劣なのか。」
 
ページの5分の1くらいは様々な
作家の名前が連ねてあり、
知識量の豊富さに圧倒される。
こういうことにつけても、
意見としての強かさというか
信憑性を感じてしまう。
 
「アトム」については、
「あの美少年?の皿のような目や
ずん胴の脚を見るだけで、私は嘔吐を
催した。」や
それ以来のマンガのキャラクターに
見られはじめた目の描き方に
「空虚な、バセドウ氏病的巨大眼球を
忌み嫌ふ」と言ったり
「どういう料簡で、相互感染か模倣か、
寸分差のないあの白痴的明眸を得得と
描くのか。」などと、
ほとんどホラーとしか思えない
例え方で一刀両断。
 
「鬼太郎」や「ねじ式」についても
「克明細密無比の背景描写と、
粗雑簡略極まる人物描写の、
恐るべきアンバランスだ。」
と嘆いている。
 
この人のすごいところは、
じぶんが悪人である、という自覚を
少なからず持っているということ。
 
むしろ自身の希求するところに
正直でいるだけにそうならざるを得ない、
という方が正しい気がする。
 
自分のことを言われているようで
恐ろしくもあり、
また自身の態度についても、
なにかにかこつけて
妥協あるいは安易な協調によって
「気のよい青年」に陥っていないか、
あらためて疑念をもつのでした。
 

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