worksは8/24に更新しました.

思い込みの世界

図書館で予約していた本があって、
早く読みたかったのですが、
日中は別の用で行けず。

夜、暗くなってから、
ようやくキリがついたので、
自転車に乗って、パッと行ってこようと。

雨がふりそうな雰囲気もあり
いそいで走らせていたら、
向こうから、ライトをつけた車がきた。

ぱっと光がこちらにあたって、
おやっと思ったんです。

ライトの強い光に反射して、
かすかに雨粒が見えたんです。

そこで、あ、もう降っているんだ!
と気が付きました。

見えておらず、かつ感じもしなければ、
「ない」ということなっていたけど
ほんとはあったんだ!

…という気づきって、
ときどき、ありますよね。

分かりやすい例だと、
朝起きて、カーテンを開けて
伸びをして深呼吸していると、
ひざしに反射したホコリが
きらきらと自分のまわりに
大量にうかんでいた。とか。

見えていなければ
朝のすがすがしい空気なのですが、
そこにホコリがあると思うと、
ちょっとだけ「うっ」と息を
止めたくなったり。

逆のパターンでは、
絵を描いているとき。

いつもは朝や日中の光のきれいなときに
描くのですが、

夜、ふつうの電灯のもとで
絵を描くと、
色が見えにくくなって焦ります。

たとえば、太陽のもとで塗る肌色と
電灯のもとで塗る肌色が、別の色に見えたり、
色と色の差が分かりにくくなります。

環境が変わると、こんなに
見え方って変わっちゃうのかと。

そう思うと、ぼくたちって、
見える、見えない(感じる、感じない)に
左右されて生きているんだな、
ということをしみじみ感じます。

五感で感じられなかったら、
「そこにはなにもない」と
思ってしまう。

でも、それは
人間のシステム上で無視をしている、
というだけで、本当はなにかがある。

電波も、紫外線や赤外線も、
気圧とか、太陽や、月からの引力などなど、
上げれば枚挙にいとまがないのかも。

さいわい、知識としてあるから、
少なくとも、それらが存在する、
とは知っている。

でも実は、もっと
感じられないなにかに満ちている
という可能性もありますよね。

でも、実感できるかと言われると
できない。

なにも感じなければ、
なにもない、と思う。

つまり、なにを感じているかって
自分がなにを見ているか、に
かなり影響を受けているんだなと。

実際がどうかというより、
自分の思い込みで
全てを決めているという気もしてきます。

「人」という小さなのぞきあなから
見ていることが全てだと思って、
気分や気持ちが作られている。

…本当はいろんなことが
大したことじゃないんじゃないか、
と思ったりもしています。

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