worksは8/24に更新しました.

怖さと集中は似ている

2年前、京都で個展をやったとき、
2、3日は気合いを入れて
展示会場にはりついていたけど、
せっかくだからと、お寺や旧家などを
まわる日をもうけた。
 
そういうところに行くと、
気持ちがぴりっとする。
普段からだらだらしている自分でも、
背筋が伸びて、なにか冷たいような
凛とした気分になる。
 
昔の武家の人やお寺の人たちって、
どういう気分で日々を過ごしていたのか
と想像すると、なんとなくこちらにも
緊張感が伝わってくる気がするのである。
 
集中力がわいてくるような。
これってなにかに似ているなあ、と
思っていた。
何かの気分とよく似ている。
 
それが分かった。
 
怖い話を聞いている時の気分と
少し似ているのだった。
 

 
トラウマになるくらいの恐い話ではなくて
ちょっと恐い話くらい。
恐い話のBGMとして、お寺の鐘の音や、
ちりーんという音。
鈴虫の鳴声、そして静寂。
これがぴたっと合うでしょう。
 
ああいう「怖い話」という超常現象に
気持ちをシフトさせるのは、
浮き世から解脱するような、
心がしんとして、なにか畏敬の念を
抱くような心持ちになる。
 

 
何が言いたいかというと、
作業中に怖い話を流すと非常に効率を
図れるということ。
 
3時間くらい机の前にはりついていたって
気にもならない。
トイレにも(恐いから)行かなくても
いいくらい。
 
怖い話が苦手だと言う人も大丈夫。
そのうち慣れてくるから。
 
たいてい代表的な登場人物は、
髪の長い女で、白い服なんだ。
恐さというものがアイコン化されている
ことに気がつく。
 
そして、恐い話であればあるほど、
巧妙に筋が通って(演出されて)いることが
多いし、
リアリティがあればあるほど、逆に
恐いというより単に「不思議な話」なのだ。
 
要するに、「怖い」には
仕組みがあることが、なんとなく
分かってくる。
 
怖い話から静寂さと凛とした気分だけを
捉えることができるようになる。
 
ぜひ、やってみてください。

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