将棋が弱いきみに
将棋がめっぽう弱い。
小学校の頃に将棋クラブに入っていたが、
どういうわけか勝ったためしがない。
当時ぼくと対局する人はみんな油断した。
なぜなら、おしゃべりしながらでも
ぼくには勝ててしまうからだ。
その日も年下の女子が、別の女子と
おしゃべりしながらぼくと対戦していた。
それを良いことに、
よそ見している隙に
ぼくはそっと王手をうった。
相手に聞こえないくらい小声で
「王手」と。
女の子は気がつかず、
(ぼくの打った手を見ていないのだから)
別な駒をうごかして、うっかり負けに
帰してしまう。
びっくりしたのと、ぼくに負けたのとで
泣いてしまった。
そう、ぼくは将棋でズル勝ちをして
女の子を泣かせてしまうくらいに弱いのだ。
*
最近、思い出した様に
詰め将棋(三手詰め)にはまって、
クリアし続けていたら、つい、
強くなったと思い込んでしまった。
しかし対人でやると、やっぱり負ける。
先を読んで、戦法を考えながら
一手ごとに意味を持たせながら打つ。
これが出来ない。
どうしてもその場の感覚だけを
頼りに「なんとなく」打ってしまう。
*
かなり強力な友人がいるので、
すこし手ほどきをしてもらったが、
「ここでこうしていたら良かった」
という手が山ほどあった。
やっている時は気がつかないのだが、
聞くと、なるほどなと思える。
初心者の鉄則として、
まずは玉の守りを固める、
戦法の定跡を覚える、
昔からの知恵である格言を守る。
このように地に足をつけて、
かつ先の予測を常に考えていないと
すぐに隙をつかれてしまう。らしい。。
かようなことが、どことなく
人生と似たもののように思えてならない。
将棋の強さが人間性と比例している様な
気がしてくる。
その場の感覚だけで動いているぼくとしては
あの一手が、あの一手で、あの一手を
こうしていたら、ということを考えて、
過去を振り返ると、震えがとまらない。
*
しかし、将棋はまず、暗記が大事。
定跡や格言を本かなにかで覚える、
これがある程度の強さと直結する。
…それを人生に例えると、
ビジネス書、自己啓発本を読むのと同じか。
でも人生では、将棋ほど「定跡」が
役に立たないでしょう。
自己啓発本を読んでも、
啓発されないことの方が多い。
川上量生が「人生はくそゲー」と
言っていたのが、そうだなと思える。
くそゲーはくそゲーなりの
巻き返し方があるんじゃないか
と思って、
この頃気を取り直している。
2015/10/16