嫌われたくない産物
甘やかされてきてしまった、と思う。
昔っからそうなのだと思う。
高校生1年生の頃、
あれは雨の上がった日のこと。
陸上競技部だったぼくは、
砂場にかぶせられたカバーを
とりはずそうと「重し」を持ち上げて、
わきに放り投げた。
すると運悪く、その場所がちょうど
淀んだ水たまりだった。
びっちゃんと泥水がはね飛んで
ウォーミングアップ中のT先輩に
かかってしまう。
T先輩というのは部内でも皆が
恐れる女主将で、試合前になると、
いつも目が殺気立つというような人。
うわ、やっばい、と周りにいた友人も
青ざめていた。なにしろジャージの裾が
びしょびしょのどろどろだった。
突然の叫び声、
「うおーいっ、あんだこれー、
誰だよ、ばかっやろ」
と言ってゆっくり振り向く。
そして、放り投げたまま固まっている
ぼくを見つける。
「…あ」と一瞬の間。
「あ、にしくんか。きみなら許す」
と笑顔で行ってしまった。
*
張りつめていた緊張感が解けて、
「おい、よかったな」と友人たちも
胸を撫で下ろす。
しかし、そのときになぜか僕だけが
ムっとしていたのを覚えている。
どうして怒らないんだ。と。
このようにして、私の中の弱い心や
「少年のまま」という名の馬鹿さは
図らずも守られてきてしまった。
他人のせいだな、とは思っていない。
むしろ、人に嫌われたくない、という
自分の強烈な煩悩によって
そういう立場に自らがなってしまった。
のだと思う。
自分の意思よりも、まずは他人に
嫌われないように、好かれるように、
という思考が日頃から働いていたことに
気がついた。
作品を作るときなんかも、
メルヘンとかロマンチックとか
言われてしまうけれど、
そういうものを作っている横で
ものすごく低俗なことをしたり考えたり
している自分がいる。
じぶんの考えた構造がうまく機能して
多くの人に関心を持ってもらおうと、
必死に考えるけど、どこかで「けっ」と
思ってしまっている自分もいる。
そういう時に周りから褒めてもらえると
申し訳ない気持ちになります。
2012/09/27