worksは8/24に更新しました.

夜の空気に沈んだら

「かいじゅうたちのいるところ」を
描いたモーリス・センダックが
称賛しているオーストリアの作家
アーダルベルト・シュティフタ―。

1800年代に生きた人。
彼が小説の序章でこんなことを
書いている。

ざっくり要約すると
「雷や火山や台風など、
目に見えて大きなことに人は注目して、
自然の力って偉大だというけれど、
わたしは、そうは思わない。

風の吹くこと、空の光、春の大地の芽ばえ
星のかがやき、これらの方が
偉大に思えて、前者はむしろ小さなものと
考える。」と。

日々を動かしている地味な力の方が
すごいという。

これを人生に変換して考えると…
たった一日ものすごく頑張ったり、
おめでたいこと、うれしいことが
あったとしても、
それは実は小さいこと。

地味でも習慣として日々、
繰り返し続けることの方が偉大であると。

ということで、
毎朝、似顔絵を描き続けることが
小さな、そして地味なことと思いつつ
うれしい気持ちが巨大な地盤となって、
ずりずりと山を作るように気分を
もりあげているんじゃないかと
感じているこの頃です。

朝起きるのが苦ではなくなって、
ラジオ体操をして、掃除をして、
窓をあけて、植木に水をあげて、
似顔絵を描く、という日々が心地よい。

さあ、ここからが本題なのですが、
朝、窓を開けた時
陽ざしは斜めにさすので、
空中に舞うほこりがきらきらと見える。

窓を開けると、
足元から冷たい外の空気が
まるで水が流れこむように、
すーっと入ってくる。

一方ほこりたちの動きを見ていると、
窓の上部からつぎつぎと
外へ駆け出していく。

室内の空気の方が暖かいから、
ほこりは天井に近い方から
外へ出ていく。

床に近いほこりたちは、
むしろ部屋の中に押し戻され、
ちらばる。

というわけで、
朝に床のほうきがけをするときは
窓は閉めておいた方がよいでしょう。

部屋の中と外の空気が違う、
というのが、面白いなと思う。
いや、当たり前なんですけどね。

夜の間に、冷えた空気が
よその町から流れてきて、
あるいは高い空から降りてきて、
どんどんぼくの住んでいる町に
たまっていく。

どんどん(空気の)水位があがり
しだいに、マンションの屋上まで
完全に夜の空気にどっぷりと
沈んでしまう。

部屋の中の空気は窓を閉めているので、
そこだけまだ昼間の空気が
残っている。

空気って見えないけど、
そんなイメージをしてみると
すごくおもしろい。

今日はいい天気だなあ、と思う日に
もし空気が景色のように見えたとしたら、
ジェット気流に乗ってやってきた
初夏の地中海が降りてきて
この町を包んでいる、
といえるかもしれない。

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