worksは8/24に更新しました.

困っていてくれてありがとう

映画「アメリ」で、アメリが
盲目のおじいさんの手を引いてあげる
というシーンがあった。
 
アパートの自宅で見つけた古い宝箱を
元の持ち主にかえすという作戦を企て、
成功させたアメリは、一種、躁状態で、
おじいさんにこれ以上ないおもてなしの
道案内をする。
 
助けてもらったおじいさんは、
心に火が灯るように
ハッピーな気分になるのだけど、
助けた側のアメリもまた
同じ気分になっている。
 
私は人のために力になれるんだ、
というこの世に対する手ごたえを
感じる瞬間であった。
 

 
これと同じことをかつて自分も
体験したことがあった。
 
道で人ごみにたちすくむ盲目の方がいて
つい「どちらまで」と声をかけてしまう。
 
目的地まで案内を遂行すると、
「ありがとうございます」と2回くらい
言ってもらえたのだけど、
そのとき、ぼくは同じくらい
「こちらこそ」という気分だった。
 
人助けできたことが、
とってもうれしかったのだ。
 
…ともすれば、
人助けして喜んでるなんて
結局自分のためじゃないかとか、
「余計なおせわ」であったり、
むやみやたらと親切であるのは
時に他人から疎まれたりする。
 
けど、人助けして喜べるなんて
すごくいいことじゃない、と思う。
 
助けてもらえた人は、もちろんありがたいし、
助けた側の人もうれしい。
これって、いま流行りの
ウィンウィンの関係なんじゃない。
 
そういう気持ちにならなければ、
ことばは「~をしてあげた」になってしまう。
相手に恩を着せてたりして。
 
だけど、あの時のアメリの気持ちと
実体験から想像すると、
ことばは、
「あなたを助けられてよかった」
とこうなる。
 
人を助けられてうれしいと思うことがある。
そこで困っていてくれてありがとう、と。
 
そいうことが自分がいる意義に思える。
 

 
これを人助け、に限らず、
仕事とよばれるものには少なからず
あるべきものなんだろうなと思う。

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