worksは8/24に更新しました.

トリツカレ

本を読む時も、
テレビを見る時も
車を運転するときも、
どこかで、ぼんやーりしてしまう。
 

 
ジブリの特集がやっていたので、
これまたぼんやーり見ていると
宮崎駿が
「アニメーションは現実を
うつしとるものだ」
と言っていた。
 
身の回りには、
無意識に取り込まれてくる情報が
たくさんあって、
それらをくまなく再現していく事で
リアリティが生まれるのだ、
というようなことを言っていた。
 

 
完成したアニメ見れば、
描かれているニュアンスが分かるけど、
実際にそれを描け、と言われたら
絶対に出来ないと思う。
 
そこで起きている現象のことを
ぼくは全然理解できていないから、
描きようもない。
 
当たり前すぎて気にかけていない
ような現象も、
アニメーションを描く人たちは、
しっかり観察して
把握しているんだろう。
 
「見なければ」という本能的な
衝動によって、まなざしは
何かに取り憑かれたように鋭くなる。
 

 
数学者のドキュメントの本を
読んでも同じような事が言われている。
 
とにかく散歩が好きで、
見るもの見るものが、すべて自分の
考えている事柄に結びつけてしまうのだ
という。
 
「勉強している」時間ではない
時にでも、考えは続いている。
 
こういう話を聞いた後、
自分を省みると恐ろしくなる。
 
あまりに空白の時間を
過ごしすぎているような気がしてくる。
 
なにに対しても興味を持って
熱を上げる人がいるけれど、
自分には何もないのではないか、
と恐くなる。
 
同時に、そういう人を
仰ぎみるようになる。
 
そうそう、いしいしんじの
「トリツカレ男」を読んだ時は、
感嘆の声をあげたものでした。
 

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