スケッチについて
散歩しているとき、
向こうから歩いてくる人の顔を
じっと見てしまうクセがあります。
通りすがる人の顔を見ないで
やり過ごすのが我慢ならないくらい、
ぜったい見ちゃう。
だいたい、一人で歩いていたり、
自転車に乗っている人なんだけど、
見ていると気が付いたことがあった。
なんか、大人と子どもで違うなと。
*
たいてい大人は、遠い目。
たぶん、目の前というより
頭の中のイメージを見ているようで
つまり、焦点が「考え」や「思い」に
あるように見える。
一方、子どもは、
いまの、そこ、それ、あれを
見ているってかんじ。
自転車の後ろに固定された子が、
両手で踏ん張って首をまわしながら、
過ぎていくなにかをみている。
たいてい口を半分開けていたりして。
意識が「思い」にいるよりも、
いま直面しているものをみつめている方が、
顔にはエネルギーが宿ってるってかんじがする。
顔だけじゃなくて、
体全体が実感として反応しているんじゃないかな。
*
そういう意味でいうなら、
ぼく自身、今は完全に大人な顔で歩いており、
そのためか、いまここにいる、という感覚が
とても薄い。
たとえば小学生の頃なら
もっと居場所の記憶が濃かった。
土の匂いがして、
つめたい風がふいて、
乾いた葉が音をたてて迫ってきて、
ぞわぞわっと、
その場所の感じが身に染みていた…
なんてことがあったはずなのに、
いまや、起きているのに
ずっと夢を見ているような
画面越しに動画をみているかのような
鈍い感覚。
これはまずいんじゃないか、と思い、
呼吸を意識した瞑想(マインドフルネス?)
をしようと。
いま、ここに自分がいる、という実感を
言葉ではないところで、
呼吸を繰り返し、確認するってやつ。
そうしていると、だんだん子どもたちが
むしろ古い師匠のような存在に思えてくる。
だって、子どもは「いまここ」の気持ちを
体得した、
ぼくにとって超越した存在なんだから。
*
ということで、
朝活でスケッチをはじめました。
1日朝の50分。
2日で一人描くペース。
インスタでやってます。
なんでそんなことを?
と理由を聞かれることがたまにあって、
ここにまとめます。
・朝の瞑想の時間として
・師匠から「いまここ」気分を授かるため
・軽やかに絵を描けるために
(ちなみに、
軽やかに絵を描くためには、
知っていないといけないのです↓
どこに線を入れるとどんな表情になるのか、
輪郭線を描くんじゃなくて、
重さや大きさ、体の量感、やわらかさ…
その勉強のため。
あとは、そのための観察も楽しいので)
以上、割と自分のためなのと、
原画はお渡ししない(データのみ)
ということで無料にしています。
ありがたいことに、たくさんの方にご連絡頂いていて
今は2~3か月くらい待ちになります。
すぐに欲しい、原画もほしいという方は
ぜひ有料の「似顔絵バッヂ」をどうぞ。
2020/11/12