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「それ」とはなーんだ?作文

「それ」の話。
 
1890年~1938年に生きた
チェコの作家カレル・チャペックは
男で外を出歩く時に「それ」を
持たない奴はどうかしている、という。
 
(「カレル・チャペックの日曜日」
青土社 参照)
 
「それ」は実際、実用的なものなんだけど、
そういう問題だけでなく、
男としての詩的な意味もあるのだ、
という。
 
なにかが起きた時に、
(空想のお話に起こりそうな事件
なんかに)
きっと役に立ってくれる、
という安心感、心強さ、わくわくを
導いてくれるのかもしれない。
 
彼は、
「お金を持っていない人がいます。
人の心を信じていない人がいます。
一生、政治的信念を持たずに
過ごす人がいます。」
でも、それはまあ仕方ないにしても、
一番不思議なのは「それ」を持って
いない人がいる、
ということなんだという。
 
肌身離さず…という意味では、
今でいうなら、それとはスマホ
に変わっている。
だが、ぼくはスマホと「それ」は
根本的に違う気もしている。
 
たしかに実用的な意味からすると、
スマホはいろんな機能がある。
いまや、持っていないと、
不便でならない。
 
いや、逆に考えると、
不便でならないというよりも、
ある能力(方向感覚とか、
時間感覚とか、情報を得ようとする
能動的な心構えとか。)を欠いても、
過ごしていけてしまう。
というべきか。
 
要するに、頼りにしすぎてしまう。
自分の能力を半分くらいゆだねて
しまったかのような。
 
だが、「それ」は、自分の工夫次第で、
どうとでも使える可能性がある。
自分の能力次第で、使えるか、
使えないかが決まる。
 
だからこそ、工夫や、空想の
使い甲斐がある。
 
たとえば野生の島に行ったとき
(ここがすでに空想的)
豚を串焼きにする可能性、
安らぎのパイプをふかす可能性、
野獣を追い払う可能性、
岬の突端に灯りをともす可能性、
その他無数のロマンチックな可能性を
意味しているようです。
 
しかし、現在では、使うシーンが
ほとんどない。
たばこを吸う時くらいか。
(ぼくの子どものころは、
もう少しなんか使ってた気がする。)
 
加えて、現在では、危険物として
持ち込制限すらかかっている場合もある。
(反対に考えると、
そういう可能性すらもっている。
ということだ。)
 
「それ」とはマッチ箱。
当時、チェコでの彼のこの文章が
もっともな話として映ったのか、
冗談めいた可笑しい話だったのか、
分からないが、
90年近く経って、今の自分が読むと、
多少なりともカルチャーショックがある。
 
マッチ箱はもちろん、
紐、ポケットナイフ、
(ボーイスカウトで
もっていそうな道具だな)
こういうものを人が
持たなくなった、というのは、
どういう意味を示しているのだろう、と
すこし考えたくなる。
 

 
…ここで、全く話が変わるが、
「なぞなぞ」作文法というのを
思い付いて、あるとこに
エッセイを寄稿させて頂いた。
 
伝わる作文をゴールとして、
その手段になぞなぞを
取り入れてみようという。
 
なぞなぞは、答えを聞いて
「あーそういうことか」と
一気に理解できる。
 
能動的に文章を読ませるコツとして、
少し分かりにくい文にすること、
という研究があるようだが、
なぞなぞとは、伝える/伝わるという
意味で、理に適っている。
 
作文を書く機会は生徒には、
そこそこあると思う。
そのときに、本文を「問題」として、
テーマ(タイトル/お題)を
「答え」として書いて、
それをお互いに見せ合ってみたら、
「伝わる」とは、どういうことか、
遊びながら体験できるのでは、
という仮説を立てた。
 
仮説を立てて、自分でやらないでは
いけないと思い、
なぞなぞ作文を書いてみた。
という次第です。

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