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今回の実験「あたらしいロゴをかおもじサインにしてみました」

違和感のセレンディピティ

なんとなく、
気になっている言葉がある。
 
別になんというわけでもなく、
でも、半分どうなの?と
怪しんでいるキラキラワード。
 
それが「セレンディピティ」。
 
wikipediaにはこう書いてある。
 
セレンディピティ(serendipity)とは、
素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。
また、何かを探しているときに、
探しているものとは別の価値があるものを
偶然見つけること。
平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、
幸運をつかみ取ることである。
 
なるほど、これだけ読むと、
メリットしか感じられない。
その、とにかくコンデンスミルク級に
甘すぎる解釈で
本当にいいのかい。と、
疑問を投げかけたい気分になる。
 

 
この言葉と久しぶりに出会った
きっかけは、
バスの待ち時間に立ち寄った
行くつもりがなかった本屋。
 
しかも、そのとき探していたのは、
東浩紀の「ショッピングモール」について
語っている対談本。
 
だけど、ふと目について、
普段なら、関心をもたないタイトルが
妙に気になって手に取ってみた。
学びとは何か」今井むつみ著
 
この本が案外面白かった。
 
アメリカの幼児が
英語を「勉強せずに」会得する過程と、
日本の大人が英会話スクールで
「勉強して」学ぶ過程とでは、
どのような違いがあるのか、
という話に始まり、
何かを理解したり、認識できるために、
知識はどのように働けばいいのか、
ということを研究した一冊。
 
個人的に非常に面白かったし、
その一節で「セレンディピティ」
というワードにも出会った。
 
…それで今、
この作文を書いてるんだけど、
そういう意味では、
セレンディピティのwikipediaの
文面通りの現象が、
まあ、たしかに、
ぼくにも起こったというわけだ。
 

 
だがしかし、と
なお食い下がって考えたい。
 
セレンディピティとの出会い方は、
それだけか?
 

 
人生経験を重ねたり、
いろんな物事のシステムを、
当たり前のように受け止めていたり
熟練度が増してくると、
無駄なものを見なくなる。
 
要するに人生が効率化される。
余計な時間を使わずに
レベルの高い思考ができる。
 
しかし、もっと熟練した
(「学びとはなにか」から引用すると)
シャーロック・ホームズなんかは、
推理をする際に、勘どころから
観察箇所を絞り込んで、
必要な情報だけを、効率よく
ぱっと見つける…のではない。
 
まったく、関係なさそうに思えた
事柄をなんとなく覚えていて、
それが予想外にも事件を解く
カギになったりする。
 
セレンディピティは
ある意味で人生の非効率を
受け入れた人にだけ現れる。
と、言ってもいい。
 
また、超熟練の学者なら、
仮説理論値と実験データのズレを
失敗と思わない。
 
なんか、ちがう!
という違和感こそ、
予想外の出会いである。
 
道を誤ったり、
非効率に動いたり、
上手くいかなかったり、
それで現れた結果にこそ、
セレンディピティという言葉を
使ってほしい。
と思う。
 
失敗だった。
もう、うまくいかんぞ。
と「嘆くこと」が
無意味だということがよくわかる。
その時に「能動的」になることだけが
有意義に思える。
 
予想外は予想外でも、幸運には
とても思えないような違和感にも
きっかけはあって、
それで、どうしようか、と
粘り強く探り続けることこそ、
真のセレンディピティという
感じがする。
 

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