ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

赤くなる散歩

昨日、スタインベックの「朝めし」を
紹介しました。

著者が何度も思い返してしまうほど
楽しさでいっぱいにしてくれる思い出。
それを語った短編なのですが、

この短編と書きだしが酷似した
エッセイを見つけました。

折口 信夫の「戞々たり 車上の優人」です。
(雑誌でこの文章が抜粋された記事をみつけて
一部を読んだだけなのですが)

冒頭はこんなふう。

「まことに、人間の遭遇ほど、味なものはない。
先代片岡仁左衛門を思ふ毎に、
その感を深くする。
淡々しい記憶が、年を経て愈濃やかにして快く、
更に何か、清い悲しみに似たものを、
まじへて来るやうな気がしてゐる。」

この人も、思い出すたびに、
快さとさっぱりとした感慨があるという。

内容を簡単に言うなら、
「散歩してたら有名人を見かけた」
という話なんです。

著者が子ども時代、つまり
1900年代後半の明治末期ころ、
開通したばかりの市内電車の停留所で
歌舞伎役者と出会ったのだそうです。

(そのときの様子について事細かく
書かれているのですが…
ちゃんと読んでいないので省きます)

また別のとき、彼は
学校までの一里(約4キロ)の距離を
できるだけ時間をかけて楽しんで
通う習慣があったそうで。

脇道やまだ通ったことのなかった道が
とんでもないところへつながっていた
という感動が、
人知れぬ喜びになっていたのだそうです。

あるとき、
侘しく古びた裏路地を抜けると、
庭のようなところに出た。

黴くさく、醤油くさく、味噌くさく、
地面も赤茶けて、煤けているようだった、と。
石灯籠がにょきり立って、
色の悪いかしの木が植わっていて、
向こうには池があったか…
きっと誰かの家の敷地内だし、
とにかく夢を見ているような不思議な
気持ちになって、
これ以上進むのをためらった。

引き返して、大通りにもどり
ホッとした、といいます。

その家が、後に聞くと
例の歌舞伎役者の家だったのだとか。

自分のあこがれの人の周辺を
うろうろするというのは、
ぎゅーっと胸がときめきますよね。
とてもよく分かります。

高校生のとき、大好きだった
スピッツの草野マサムネさんが、
武蔵野美術大学に通っていたとのことで
実家もほど近かったから、
「彼が見たであろう景色」を
なんども散策した思い出があります。

ほかにも糸井重里さんの事務所の近くや、
谷川俊太郎さん、
宮崎駿さんのアトリエの近所を徘徊して、
姿を見かけたりすると、
どきっとして目の中が星になって、
ときめくのですが…

んー、こういうことって、
人に話すことじゃないですよね。
書いていてすごく恥ずかしくなってきました。

折口さんも、
肩が昂るような気持ち、
その人の吹聴したくなる軽薄さに
後年まで「赤くなった」のを覚えている
と書いていました。

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