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思うための読書

本には、読むべきタイミングがある。
電車、トイレ、風呂、布団。
これらは本来の目的のための待ち時間。
 
電車に乗っている間は、
移動するという本来の目的のために、
自分は何もすることができない。
電車に乗ってしまえばあとは、
揺られているのみ。その余った時間。
 
トイレも、用を足すまでは
座るのみ。その余った時間。
 
風呂も、湯舟に浸かっている間は、
他にすることがない。
その余った時間。
 
寝るまでの、目を閉じてからの数十分も、
意識が遠くなるのを待つばかり。
その余った時間である。
 
このように、本来の目的のために、
あと、自分がすることといえば…、
「何もないじゃん」というときに
本は読まれるべきものである。
 
することが何もないと、ぼーっとする。
ぼーっとしていると、際限がない。
だけど、本を読むとなにか思うことが
できる。それがいい。
 

 
ぼくの場合、シチュエーションごとに
読む本のタイプが変わる。
 
たとえば電車の中では、
「面倒だけど、
読んでみるとおもしろい本」
思想や学術系の本など。
こういうのなら電車の中でも格好がつく。
 
一方、対照的なのが寝る前に読む本。
「ただただ、楽しみたいだけの本」
マンガとか、少年少女向けの童話とか。
 
マンガでいうと彩花みんの「赤ずきんチャチャ」。
これは最高におもしろい。
体裁を気にするぼくとしては、
さすがにこれは電車では読めない。
 
今回、話題にしたいのが、
寝る前に読んでいるもう一冊。
「マチルダはちいさな大天才」
ロアルド・ダール作。
 
ロアルド・ダールは
「チャーリーとチョコレート工場」や、
「ファンタスティックMr.FOX」など、
奇才と呼ばれる監督によって映画化されてる
有名な作家である。
 
有名な作家であるが、読んだことはなかった。
読んでみるとおもしろい。
 
他のロアルド本にも共通するかもしれないが、
ざっくりと概要をいうと、
自分の使命や陰謀を達するために、
周囲の力に屈さない、
弱いものが命をかけて(かつ小気味よく)
強いものにイタズラする、という
逆転劇的な構造がある。
 
読んでいて、そういうところに
感心する。
だって、周りを気にせず自分の意志を
持ちつづけることは、難しい。
 
ぼくがあるとき、なんとなく電車の優先席に
座っていると、足の悪そうなおじいさんが
やってきた。
すかさず、ぼくは席を譲るのだが、
それは正義感でもなんでもなく、
ただ、譲らないでいると、周囲の目が
きっと良くないし居心地が悪かろう、
という狭い心のせいなのだ。
 
かつて塾に通っているとき、
あまりのつまらなさにさぼって、
好きな本を、布団にもぐって
読んでいる時も、心はさもしさを拭えない。
 
いっそさぼっている時間を、
開き直って、たのしく有意義にすごせればいいが
どうもそうできない。
 
周囲の力に屈されまくっている。
 
…電車の中で堂々と「チャチャ」が
読めるくらいでないと、いけない。
 
本を読んでいると、
そんなことに気がつく。

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