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読書への小径

本を読んで「楽しむこと」と
読書して何かの「役に立てよう」
ということの間には、
差異があると思います。
 
それが顕著にあらわれるのは、
他人に、その本の良さを伝えよう
という時。
 
読んだ本が
どんなに面白いと思っても、
いざその本のことを
だれかに話そうとすると
曖昧な言葉しか出て来ないことが
頻繁にあります。
 
「あれはね、こう、なんだろう、
えーと、ほら、面白いんだよね。」
 
という具合。
苦しいし、もどかしい。
面白がったはいいけれど、
こんなことで本当にじぶんは
「本を読んだ」と言えるのか、
と自問自答してしまいます。
 
森のなかで087
 
すごいな、と思うのは、
本の寸評を書く人。
それも、こちらを本屋に走らせて
しまうくらいの力をもった人。
 
思い当たるところで言うと、
荒川洋治と宮崎駿がそう。
 

 
荒川洋治「世に出ないことば」は
読書を中心としたエッセイ集。
そこに「ブラックバード」という
エッセイがあります。
 
正宗白鳥の「入り江のほとり」を
読んだという文章なのですが、
その中で小学校の代用教師である
「辰男」が英語でひとり遊びを
している様子に着目している。
 
諸処ある要素の中でも、
英語で好きな単語を勝手に創作する
という面に話題の中心を据えている。
 
なんと面白そうなんだ、と次の日に
本屋に向かいました。
 

 
宮崎駿「本へのとびら」では
ケネス.グレーアム「たのしい川べ」
(挿絵E.H.シェパード)の寸評として
こんな文。
 
「まあなんと上手なさし絵でしょう。
絵を見ているだけで充分満足します。
この画家がアニメーションをやったら
ものすごく腕の良いアニメーターに
なったでしょう。
それなのに、ぼくは何回読みかけても
この本をさいごまで読めません。
まったく不思議なことです。」
 
これで全文。
そして案の定、その日のうちに、
本屋に求めに電車に乗りました。
 
彼は絵に着目していた。
これらのハッキリとした着目点が
自分の興味とマッチするように思えた。
それだけで「充分満足します」。
 
「意識」した人の読み方は、
自分のためならず、人の役にも立つ。
 
本を読む/見る「視点」を与えてくれます。
本という荒れ地に小径をつくって
案内してくれる。
 
でも問題はここから。
じぶんだったらどう読むだろう。
 

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