ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

設計図としての気持ち

寝苦しそうにしている人がいる時、
手をさすさすしてあげると
眉間のしわがほぐれて、ふたたび
すーすー、寝息をたてはじめる、
なんていうことがあります。

ぼくはその時、
んー、これはどういう
現象なんだろう?と思った。

手で触れたという信号が
脳に伝わって、
脳から安心を促すようななにかが
分泌されて、それが全身の緊張を
ほぐして…

なんか分からないけど、
ピタゴラスイッチみたいに
ひとつの動作から、細かい連鎖に果てに
ひとつながりになって
「安心」という気持ちとして広がる。
そんなイメージ。

でも、そんな原理、というか、
仕組みを知らなくても、
「大丈夫かな?よしよし。」という
「感じ」だけを頼りにすれば
気持ちを実現につなげることができる。

だから気持ちってすごいと思う。
気持ちをもつことが表現の基本だなって。

だって気持ちなしで、
気持ちを表現することは
ほとんど不可能だと思う。

「眉間にしわをよせて、
鼻をふくらませて、
肩にちからをいれてぎゅっとして
口をわっとあけて、大きな声で叫ぶ」
これで「怒っている」気持ちを
表現できる人は…そういない。

それよりも、
単純に相手の悪口をいって、
怒らせる方が、
ずっとよく「怒っている」という気持ちが
表現できる。

気持ちというのは、
受信専用の電話みたいなもので、
自分から気持ちを作り出すっていうのは、
ものすごく難しいんじゃないかな。

似顔絵を描いているとき、
参考の写真を見ながら、
「照れて笑っている」みたいな
様子を気持ちのイメージとして
受信はできる。

でも、その様子を描こうとすると
どこから「照れて笑っている」が
生まれているのか、再現するのが
むずかしい。

別に写真のようにリアルに
描かなくても、ポイントさえ掴めば、
デフォルメしてもいい。

そのポイントというのは、
たとえば、
右肩と左肩の高さのバランスとか、
あごをどれだけ
上げ下げしているかとか、
足の指がどのくらい開いているか、
重心がどちらに傾いているのか、
このあと動き続けるとしたら
どういうふうにうごくか…

と、気持ちの面では「照れて笑う」だけど、
それを表現しようとすると
上記のこと以上に細かい点を
確かめていく必要がある。

その細かいしぐさの連鎖が
バランスよくつながって、
初めて「照れて笑う」になる。

でも細かい部分を見ていると、
つい全体のことが見えなくなってしまう。

つまり、最初の設計図である
「照れて笑っている」という
気持ちの実感と、
うまく連携がとれなくなる。

自分から気持ちを作り出すのは
難しい…、
だったら、自分のなかに気持ちが
もとからあれば、いい。

けれど、細かい連鎖の途中で
その自分の中の気持ちが
しゅっと消えてしまうことがあると
設計図を失った建築のように
わけが分からなくなる。

似顔絵に限らず
なにかを表現しようとするときに、
気持ちを設計図として、
こころにとどめておくということが
本当に大切。

…と、こうやって書くのは
ものすごく簡単だけど、
「これを作ったら、見た人は
ちゃんと感じてくれるだろうか?」
という気持ちの設計図を
すぐに取り出せるところに
保ち続ける必要があります。

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