ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

記憶の起爆剤

ウジェーヌ・アジェという写真家がいます。

フランス人で、表記は、
Jean-Eugène Atget。
1857年生まれなので、撮った写真も
古い。

1900年前後のパリの都市や郊外を
記録写真として残した人。

記録写真といっても、
街のお菓子売り場とか、
アパートの階段とか、
その辺の川とか、庭とか、
カフェの外観とか、公園とか、
特別なものや瞬間ではなくて
誰でもいつでも見られるような
ごく当たり前に見る景色。

今でこそ、へえ昔は
こんな感じだったんだ!
と関心をもてるけど、
当時の人からしたら、そんなもの写真に
おさめてどうするの?
って思われても仕方ないような場所。

だからこそ、貴重なんだけれど。

ぼくは、生まれてから中学の終わりまで
ずっと同じ川沿いの家に住んでいたが、
河川工事のため立ち退きして、
一度だけ引っ越ししている。

つまり今の実家と、
今はない生家の実家がある。

どちらの方が思い出に残っているか、
というと、圧倒的に生家の方。

夢にも古い方の実家は
よく出てくるほど。

十数年たった今、唐突に再現したい、
という気持ちが頭をもたげてきた。

実家に帰ってアルバムを掘りおこし
かたっぱしからみて、
昔の実家の構造が分かるような
写真だけをピックアップして
持って帰った。

でも当時撮られた写真の目的は人。
その背景にたまたま映ったキッチンとか
居間とかをよすがにしているぼくとしては
どの写真ももどかしい。

だいたいが居間に人が集まったときに
撮られた写真だから、
寝室とか、玄関とか、トイレ、階段、
廊下がほぼない。
つまり、そんなの写真に撮って、
なにになるの?と思われる場所は
遺っていない。

確かに当時は、なんの意味もない
かもしれないけど、
それが無くなってしまった今、
階段の木目とか、壁紙とか、
棚の上に飾ってあった絵とか、
本棚に何を入れていたかとか、
そんなどうでもいいことが
ものすごーく貴重な思い出に
思えてしかたない。

時々、人にピンボケして、
背景であるキッチンの全貌に
ピントが合っている写真なんかは
当時は失敗した一枚かもしれないが
よくやった!と思う。

引き戸の三角の傷や、
お風呂場の戸が一部欠けている、
そんなどうでもよいと
思われるような箇所から
記憶がまざまざと立ちのぼってくる。

元は建売の家だったらしいけど
工務店の家系なので、
両親が祖母と一緒に暮らすようになった
タイミングで自分たちで増築したらしい。

そのためか、部屋と部屋の間に
不思議な段差があったり、
地下室があったり、
川沿いの斜面に建てられているので、
半二階のなぞのベランダ?みたいな
構造があったりと
今考えればなかなか不思議な
家だったなと思う。

アジェは、パリのなんでもない日常を
撮ったが、その意味を
知っていたんだと思う。

戦争とともに街が失われ、新しく
なっていきつつあった、という実感を
もとに写真を撮っていたんだろうな。

記憶は人の成長過程だけじゃなくて、
いつも使っている、
あるいはなんでもない廊下の木目
天井のランプの形、
という果てしなくどうでもいいことに
刻まれていることが多い。

それはたいてい、
後になって気が付くもの。

いま住んでいる家の、
なんの変哲もないものを
写真に記録しておくことは、
未来の自分のための大切な
記憶の起爆剤になることでしょう。

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