ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

言葉なんて…

ん?なんか変だなと思ったこと。

数年前、とある場所で働いていたとき。
かなり年上の上司とお昼を食べていると
「なんか勉強してる?」
と聞かれた。

勉強?
ちょっと考えて、思い当たるのは
当時働きながら個展の準備を
こつこつしていて、そのために
いろいろ考えたり、調べたりしていたので…
でも、それは勉強にあたるのか、と。

仕事とは関係のない個展について
どのくらい興味をもつだろうかと、
ちょっと遠慮しつつ
「うーん、勉強ってのは…あんまり」
と答えると、「そっか」と。

その場の答え一つで、
勉強しないやつ、と思われてしまったようだ。

類似の話でもうひとつ。

友だちに好きなアメリカの作家はだれ?
と聞かれて、
いくつかあるにはあるのだけど
思い出せずに「うーん」と唸っていると
すぐに出てこないってことは、
そんなに入れ込んでいる人が
いないってことだよね、と。

え、そうなの?
と思いつつ、そうかもしれないな、
と答える。

そういう時って、たいてい
家に帰ってから、ああ、あのとき
こんなふうに答えていれば
ちゃんと自分の思いを伝えられたのにな
と思って反省する。

でも、そこで、ん?と思う。
どうして、その場の遠慮や、
うまく言えないってことが
真に受けられてしまうのか、と。

どう思われようが別にいいにしても、
問題なのは、言葉の表面的な部分が
割りと真に受けられるんだなと。

それで、言葉をうのみにすると、
ときどき本当の部分は分からなくなるよな、
と思うようになった。

言葉なんて、大したことないよと。

だいたい、言葉のちょっとしたニアミスが
深刻な悩みになってしまうほど
くだならいことはない。

まるで言葉に化かされているような。

一方で、言葉は、こんなこともする。

村上春樹のデビュー作の
「風の歌を聴け」を読んだことを
おぼろげに思い出したんだけど、

たしか、

10代の頃にすごい発見をしたと。
文章を書くという事は、
自分のちょっとした操作で、
自由に世界を変え、描くことができる。

つまり、世界は自分の意のままであると。

そんなことが書いてあった。

言葉の通り、のおかげで
自分が伝えられないこともあれば、
同時に自由に作り変えることもできるのが
言葉なんだなと。
すごくあやふやのまやかしなんだよな。

だけど実際は、まるで
「言葉が嘘をつかない」と
人がみんな頭じゃないところで刷り込まれ
認識しているらしく思える。

言葉がない、しずかなところで、
思いを眺めることが、
(そしてそれを実践することが)
本当のことであって、

言葉によってうまれる深刻さや
しがらみは、できるだけ崩したいし、
同時に、言葉では、たのしいまやかしが
つくれるのだ、
ということを思っています。

それを活動の基盤したいなと。

 

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