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言葉が誘導する詩

「文学」と「叫び」という単語を
ドイツ語にすると、
Schrei(シュライ)=叫び
Schreiben(シュライベン)=文学。
 
音的にみても、意味的にみても
このふたつは複雑に関係している、
と多和田葉子が書いていた。
 

 
文学には叫びがある。
 
自らを創作に突き動かす所以というか、
作者の境遇がものを書かせる、
ということだろうと思う。
 
「叫び」を成立させる手段として
言葉がある。
それは言葉が「叫び」に従属している
印象があるけれど、一方で
その逆もあるような気がしています。
 
もっと「言葉の使い方」のほうが
誘導権を握っているような表現。
 
たとえば山村暮鳥のこんな詩。
 
窃盗金魚
賭博ねこ
姦淫林檎
傷害雲雀
殺人ちゅうりっぷ
放火まるめろ
誘拐かすてえら。
 
(日本詩人全集13
「囈言」より任意に引用)
 
驚異的な言葉の組み合わせ。
とても危険な感じ。
この非日常感がマンガ的ですら
あるような感じがしてきます。
 
朝にこども093
 
もうひとり、田中冬二の詩。
(一行ごとにひとつの詩)
 
醤油 日が暮れると田舎の町は真暗だ
さうめん 広重の海に雨
しその葉 母の手
うど 田園の憂鬱
角砂糖 ジャン・コクトー 詩の重量
麹 誰かねむっている
赤蕪 古風な軒燈のでている西洋料理店
 
(詩を読む人のために/岩波文庫
「田中冬二」より引用)
 
言葉の連想作用が
ふわふわ浮かびながら
イメージを運んでくる。
どういうわけか納得できる。
 

 
それから穂村弘。
 
きみの寝息のカカオマス
きみの黒目のポトラッチ
きみの産毛のサルスベリ
きみの虫歯のビルゲイツ
きみの微笑のバーコード
きみの目眩のシンデレラ
きみの笑窪のエチオピア
…(中略)
きみの気絶のクリスマス
 
(恋愛瞳孔反射/河出文庫
「カカオマス」より引用)
 
体験的な入力エラー(失恋)によって
エラーコードが延々とバグし始める。
そういう狂ったような言葉の使いかた。
ちょっと怖い。けど、おもしろい。
 
こういう言葉たちは、
「叫び」の実権から解き放たれて
とても伸びやかに、
活き活きと弾んでいるように
感じるのです。
 

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