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補集合の本の考察

補集合の本について考えたいと思っている。
新作のこと。
前からずっと思っていて、まだ実現していない。
なにがなんだか分かっていなかった。
 
穴あきの表紙を閉じて、文章の中から
隠れた一言があらわれる。
という本。
 
いままで形にしたもの、ネタは、
構造に頼ったものだった。
「え、すごーい」という構造の仕組みに
支えられて成り立っていた。
 
要するに、コンテンツが弱い。
内容が面白ければいい、という
単純なことでもなくて、
そもそもどんなテーマでやれば、構造と
物語がぴったり合うのか、
説得力を持つのか。
 
簡単に作ろうと思えば、補集合の本なんて、
じつは誰にでも作れる。
ちょっと簡単な話でも作れば、なんだって、
誰だって作れる。
 
構造の特性と、それに伴う読者の読む行為が
物語内での行為と一致しないといけない。
 
テーマは科学の話がいいとぼんやり考えていたが、
なんで科学の話がいいのか、
よくわからないし、しっくりきていなかった。
 

 
これまでぽつぽつ考えてきた蓄積を
ちょっと書いてみよう。
 
なぜ科学か、というと、
科学は宇宙レベルで遠いもの、小さいもの、
電気、天気、電波、目にみえていないもの、
五感や直感では、感じきれないもの、
そういうものを可視化したり、利用したりする
役目がある。
 
目に見えないものを、垣間見る、
という科学の特徴が、
補集合の本の、文章のなかにとけこんで
見えていないかったフレーズを、
表紙を閉じて見えるようする、
このふたつが共通するように思える。
 

 
そうとわかったので、
「目に見えないものをみる」という本に
すればいいのかというと、
それだけでは、コンテンツになりきらない。
もうひとつ問題がある。
 
物語というか、起承転結の軸を見つけないとならない。
アニメ映画監督の細野守が言っていたけど、
「映画は自分含めて、くすぶっている人のために作る。
そういう人たちを肯定するために作る」、
なんだって。事実自分がそのように映画その他を
見ている節があるので、とてもしっくりくる。
 
ということで、たくさんの人が
思っているだろうくすぶった気持ちに、
どうやってそぐわせることができるのか。
 

 
普段、見えている目線の先にあるのは、
9割くらいが人間なんじゃないかとおもう。
 
テレビをつけても、大体問題は、人間問題。
人が作っているから当たり前で、主人公は人。
 
政治関係の報道で大勢の人が叫んでいるときに、
荒涼とした高山に落ちている石ころを
思い浮かべる。
 
関係ねえ、と思う。
 
両者はまったく関係ないけど、
でも山はずっと昔からそこにある。
関係ないけど、意識しないけど、
そこにずっとあるし、うごめいている
自然があることを思うと、
本当は、人だけが地球の全部じゃないと
思えるようになる。
 
正直、人ばかり見えてくると疲れる。
他人にはどうでもいいことで傷ついて
しまったりするし、
ちょっと逃げ場がないような気もしてくる。
 
科学の視点って、そういうときに、
「すぐそばに立っている」という自然現象の
存在感に気づかせてくれる。
 
自然って田舎じゃないと、と思うけど、
風にしたって、雷にしたって、
身近に起きる自然現象がどうやって
自分のところに届いたのか、
それはどこからここに来たのか、
そういう仕組みと前後関係をわかるだけで、
なんとなく、こころが安らぐ気がする。
 
いかにも、心霊や、ファンタジーのような
妄想がじつは自分のすぐそばに立っていて、
いつでもすぐにそこに触れることができる。
 
そんなきっかけになる本が作れたらいい。
ぼくはコンテンツまでを作りたい。
ただ仕掛けが面白いから、なんていうのは、
今後お話にならない。

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