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自由な路地裏

今夜から京都に行ってきます。
主な目的は、展示場所の下見。
 
いくつか目的地を定めて
宣伝をしに行こうとも企てています。
 
きっと昼間はあっちこっち移動することに
なりそうなのですが、
一番楽しみにしている時間は、朝と夜。
 
深夜のカフェと、早朝の徘徊。
 
知らない街にも
こんな草が生えているんだなあとか
路地裏の門に牛乳瓶がおいてあるぞとか
ここにどんな人が住んでんのかとか
いちいち感心しながら歩きたい。
 
地元から離れて暮らしたことがない
ぼくとしては、
初めての場所の「日常」というものが
非常にミステリアスに思えてくる。
 

 
しみじみしたり、じーん、としたり
鼻息が荒くなったり(危ない)する。
 
旅行に行った時にはいつもやってしまう。
これを冒険と呼ぶにはあまりにも
地味すぎるし、
しかもどこか怪しげなので、
やはり「徘徊」がふさわしい。
 

 
深夜のカフェも同じこと。
自分が暮らしていないところでも
ちゃんと、同じような日常がそこにある。
 
けれど、ぼくがいつも見ている角度とは
きっと微妙に違う様子で見えるだろう。
 
匂いとか、声とか、まわりに山があるとか
そういうささいな変化が気もちを高揚させる。
たぶん、そういうフェチなんだと思う。
何ていうフェチなんだろう。
 
徘徊フェチ?…いや、ちょっと違うか。
なんだか犯罪めいてしまう。
 
なんていうか、
世界には色んな場所があるんだけど、
それぞれは切り離された状態で
同時に進行している。
 
でも、ぼくはいまいる、
この場所のことしか自由に選べない。
という思いがある。
 
ネットがあるしグローバルな時代だけど、
それはまやかしだし錯覚なんだよ、と。
そこには、ほんとうに自分の自由な
選択権があるか。
 
例えばグーグルマップで、
京都の路地裏の通りが見れたとしても、
そこにいる人に話しかけるとか、
塀の裏側はどのようになっているか、とか、
もっとその場所で自分がなにができるかの
選択権を得たような気がしたい。
これが嬉しさなんだろう。
 

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