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自然のこころ

最近つくづく思うのは、
面白いものを「考えよう」と思った途端
つまらなくなる、ということ。
 
平凡な日常を送る自分にとって、
頭の中からすぐにとりだせる要素って
ほとんど使い物にならない。
 
いま絵本の話を考えているんだけど、
大枠の土台とか設定は、検討をつけられる。
 
その時点では具体的な表現はなく、
「いたずらっぽく」とか「感謝のきもち」
とか、「やさしく」「ばかみたいな」とか、
代理で形容する言葉が入っている。
 
でも、その計画をなぞるように、
簡単に具体化していけばいいのだ、
というわけにもいかない。
 
そういう計画って、「旅行に出る前に
列車の時刻を調べた」くらいのこと。
 
乗る車両と時間に検討をつけたところで
実際に列車に乗っている感覚や、
目的地に着いて深呼吸する気持ちが
湧いてくるわけでない。
 
hituzi
 
一度も行ったことのない場所の
感動を、頭だけの想像で埋めることが、
本当に怪しい。
 
「こんな絵本にしたいな…」などと考えても
考えるだけでは、全然面白くならない。
とても残念。
 
そういう時は、周りの人や、ものや、
本を読んで手がかりを探そうと思う。
 
そもそも肝心な要素が自分の中に
ないのだから、
受信機の感度をできるだけ広げて
「あ、」という感覚を、あれじゃない、
これじゃない、と探している感じ。
 

 
アーノルド・ローベル「おてがみ」の
がまくんとかえるくんには、その点、
とっても胸を打つものがあった。
 
訳者の三木卓のことばを借りると
「いずれも、誰かに、そうしなさい、
そうあるべきだと強制されて
そうしているのではない。
主人公たちは、自分がそうなってしまう
からそうしているだけであり、だから
おもしろいのである。」
 
大事なのは自然のこころをそのままに
描いているというところ。
広告ポスターやアイドルのように
恣意的な、にこやかさ、善良さ、でなくて
誰もがもっている、ついそうしてしまう
(あまり褒められない部分も含めて)
ところに魅力を感じる。
 
自然なこころ、というのは、
頭でいくら必死に考えても作れない。
もっと別空間にぽっかりと、
いとも簡単そうにそこら中にある。
 
そういうものを、しっかり
捉えていきたい。

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