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脱サイボーグ

ことばあそびってなんだろう…
と漠然と考えています、最近。
…小学生並みに素朴な感想をいうと
回文とかって、なんで
ああ不自然なんだろうとおもう。
 
普通の会話のようなところじゃ、
きっとうまく通じない。
 
アクロスティックとか、だじゃれも、
なめらかではなくて、言葉そのものに
とっかかりみたいなものがあると思う。
 
それで、あ、ことばあそびなんだなあ、
という感じをもつんだけど。
 
逆を言えば、ことばあそびが
なめらかであってしまっては、
どこにことばあそびがあるのか、
もしかしたら、気がつけない。
 
ことばあそびが不自然なのは、言葉の
(モノとしての)へんてこさに
着目させようとしてるためで、
コミュニケーションツールとしての
用途とは違った視点なんだなと思う。
 
inthewater
 
ところで、
ことばあそびを成立させるための
絶対条件というものがある。
 
それは言葉や文章をこまぎれに
したものを再構成する上で、
(つまりことばあそびを作る上で)
なにかしらの意味として、
「通っている」こと。
 

 
ここにちょっとした
矛盾のようなものがある気がする。
 
意味ではなく「モノ」としての言葉に
着目しながら、意味に執着しようとする。
ことばあそびが、
つぎはぎのサイボーグみたいに
なっている所以が、
ここにあると考えられる。
 

 
でもそれって中途半端じゃないか。
ぼくは意味から意味への転換に
ことばあそびの醍醐味があると思う。
言い替えると、変化する過程が面白い。
 
これは文章(言葉)を
どのように分かるのか、
という仕組みにポイントがある。
くわしくは次回。
 
…ことばあそびを、(物語においての)
感情表現や、コミュニケーションする
ひとつの作法のようなものとして
考えたい。
 
「生命感がわきおこるような、
有機的な結合を」と考えています。

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