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今回の実験「あたらしいロゴをかおもじサインにしてみました」

脱「なんとなく占い」

自分のことを知りたいと思うことがある。
占いや、おみくじ、はたまた
心理テストに目がない自分にとって、
自分のことを知るのは、興味深いし
非常に重要なことに思える。
 
「自分のこと」というのは、言い換えると
「正直なところの本音の意見」
といったところ。
 
だいたいにおいて、
こうしなきゃいけない、
こうなってもらわないと困る、
こうする以外にない、などなど、
無意識に自分をだましだまし、
日々を送っていることがある。
理想がいつも正しいというわけにはいかない。
 
なにかと忙しくしがちな時代である。
おいそれと、本当の自分を
呼び出してみるわけにはいかない。
 

 
そこで占いが登場する。
 
たとえば、人ってだいたい
「○○をしようと考えている」
という予定を持っていたりするけれど、
それが、うまくいくのか、いかないのか、
これがわからない。
 
わからないのは、なぜ分からないか、
というと、自分のことをよく省みる時間を
取れていないから、と思う。
 
過信にも、卑屈にもならず、
そうか、自分はこうなんだ、
と考えるきっかけってなかなかない。
 
占いをする時間は、
自分と向き合って腰を据えるという気分の
きっかけになる。
 

 
占い前にポイントがある。
 
お祈りのように手を合わせて、
目を閉じてお祈りをする、
というのに見せかけて、
こういうことを考えてみる。
 
「占い予想」を立てるのだ。
自分が神様(閻魔大王でもいいけど)
になって、自身に善し悪しを判決を下す、
と思ってみる。
 

 
これが、たとえば
ヤフー占いのスマホアプリ
「オチビサン・タロット占イ」
だったら。
まず画面をタップすると、
カードがランダムにぐるぐると
まわりはじめる。
 
もう一度タップすると、
カードが整列されて、その中から、
ひとつ選んでまたタップ。
そして「目を閉じる」。
 
するとしばらくじらすような間を
開けてからカードが現れるのだが、
ぼくは目を開けない。
 
目を閉じたまま、一体自分はいま
なんのために占っているんだっけ、
と思って、よくわからなくなる。
まずはそこから。
 
よくわからないのは困るので、
思い当たる節が見つかるまで、
目を開けられない。
 
ああ、あれだ、あれが、どうか
気になるんだった。
 
…でもあれが気になるってのは、
つまり、とにかくまず、
あれを片付けてみることから始めない事には
占いでどうこうなるこたあないよな。
みたいなことを思う
 
つまり、やることも、やり始めないで
うまくいくかどうかなんてない。
そう思えればそれでいいし。
反対にちょっとでも、影が
よぎるような思いがあるなら、
もうすっぱりあきらめた方がいい。
 
なんて、思って目を開けるころには
占いを引くまでもない、という気に
なることもままある。

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