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今回の実験「あたらしいロゴをかおもじサインにしてみました」

絶対的じゃないので

駅から家まで歩きながら、
イヤホンで音楽を聞いていた。
それがとても良かったんだけど、
もし、これがイヤホンじゃなくて、
夕方のチャイムみたいな市内放送?の
スピーカーで流れていたら、
けっこうな騒音になるよな、と
想像していた。
 
ぼくがどんなに心地よくても、
さすがに町の人とリアルタイムで
この感じを共有できるわけない。
 
それで、あ、音楽って絶対的なものじゃ
ないんだなと思った。
 
たとえば、しずかな場所で本を読んでいるとき、
とつぜん隣の家からダンスミュージックが
ガンガンにながれてきたら、どうか。
普段なら、そういったDJ的な(よく分からないけど)
音楽も嫌いではないけど、今ながれると
気になって本に集中できなくなってくる。
うるさいなと。
 
唐突に、自分と関係のないところから
ながれてくる音楽に対して、
けしからんと、思ってしまうことがある。
 
いうまでもなく、電車内のイヤホンの音漏れは
聞くに堪えないし、
ipodのランダム再生できいている時でも、
静かなピアノの曲の気分のときに、
出だしからごりごりのギターの音がながれてくると
うるさーい!ってなってすぐ飛ばしてしまう。
 

 
話は変わって、
これは音楽の話ではなく、作品のことだけど、
だれかが言っていた言葉がふとよぎる。
「アートブックでも、写真集でも、
一般的にニーズがないジャンルでも、
本当に飛び抜けた作品をつくれば、
いいものは、いいものとして受け入れられる。」
という理想論みたいなこと。
 
絶対的ないいもの(自分自身にとって
最高のもの)を作れば、
結局みんなに通じるものなんだ、という。
 
俺たちは最強になれるんだみたいな、
スーパーサイヤ人的な精神論は、
もうほんとうにいい加減だと思う。
 
どんな有名なロックバンドでも、
聞きたくない時には騒音になるし、
教科書に載っている作曲家の音楽も、
ときには退屈に聞こえるもの。
 
作品の良し悪しは全く相対的であって、
問題とすべきは、
誰に、どんな状態で、どういう伝え方が
できるか
ということから考え始めることだと思う。
 
マーケティングとか、商売根性とか、
媚を売るとか、全然そういうことではなくて、
自然な感覚として、
見てもらう相手のことや、
そのときの状態のことを考えながら、
作品は作られていくもの。
作ったものが、時には不要とされたり、
迷惑だったりすることもある、
ということを踏まえてるくらいが、
いいんじゃないかと感じている。
 

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