ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

絵の個展をするなら…

承った似顔絵のために
厚いボードを必要な大きさに
カットすると、あまりが出る。

中途半端な大きさだから、
ペラの紙であれば
色を試しで乗せる試験紙にするんだけど、
ボードだからもったいないなあと。

もったいないと思いつつ、
使うあてもないまま
棚のうえに置いてあるんだけど、
ここに自分の好きな絵でも描こうかな
と思いついた。

ところが、
自分の好きな絵ってなんだ?と。

ぼくは絵の個展というものを
やったことがない。

ことばと絵を交えた作品ならある。
二歩の絵本なんかはそうだし。
あとは、「お題」が出された
絵のグループ展なら
ぎりぎりある、くらい。
仕事の依頼ならあるが、
あれもお題があって、そこに添えるもの。

そんなわけで、絵単体で個展をするほど、
しっかり人に見せるものがない。

目的があって、その手段として
絵を添えてきたので
手段そのものが目的になることが
いまいちピンとこない。

Radiotalkで林明子さんについて
話すので調べていたら、
林明子さん、自身を語る。
という対話をより抜いたページに
行きついた。

これを読んであーっと。

絵を描くのにも、いろんなタイプの人が
いると思うんだけど

自分の思想を絵にする人、
手の動くままに描く人などなど。
いわゆるアーティストタイプの人。
これは本当に尊敬。

自分にはできない。
美しさのイメージを自身の内側から
磨き上げているから。

けれど、林明子さんはそうではない
みたい。

言葉をそのまま引用すると…
「天才だと内なる美の叫びを
画面にあらわすでしょう?
わたしは外なる美を追い求めている
という感じなの。凡人。」

なんだって。
庶民感がにじみ出ていて、
とても好印象。感じた事を
卑下にも大げさにもしない人なんだなと。

「詩の言葉を選ぶように、
子どものしぐさを選ばれている」と、
長谷川摂子さんがあいづちをうつ。

そこに答えて
「自分が創り出すというんじゃなくて、
モデルをしてくれた子どものしぐさの
中から選んでるんですよね。
かけなくて、追い詰められて、
そして最後に子どものしぐさが
決まって、かいた時に、
ああ、運がよかったと思うのね。」

続けて、こんな苦労話も。

「いつも永久に仕上がらない
という感じなんで、脂汗流しながら、
「神さま助けて」「いいかげん許して」と
思いながらかいてる。」

「絵本かいているうちにね、
だんだん自分の個性はいらない気が
してきちゃって。個性なんて一人分でしょ?
普遍性の方がずっとすばらしいと
思っちゃうの。」

こういうことを
おいそれと言うのは
憚られるのだけど、
正直に言ってしまえば、分かる!と
思ってしまった。

ぼくも、もともと自分のなかに
描きたい絵があるんじゃなくて、
なにかを見た時に、
あ、これおもしろい、と思った時に
初めて絵を描くモチベーションが生まれる。

なにかを見た時の「なにか」って、
たとえばセンダックとか、
プロベンセン夫妻の絵とか。
子どもの表情が良く出ている絵。
あとは実際に子どもを見たとき。

「こんなかおしてあいうえお」を
模索しているときは、
インスタに上がっている
こどものいい写真をみると
うわ、これ描きたい!

という感じで、外側に美しいものを
見つけて、描きたいと思うタイプ。

が、
子どもの絵をひたすら描いた個展を
したとして、
はたして面白いかどうか、微妙。
でも…絵だけでなにかは、やってみたい。

タイプは違うけど、
最近もうひとつ気になっているのは、
鳥瞰図。

今いろんな資料を集めているんだけど、
これは、とある造本家さんと作る
コラボとして形にしたいなと思っています。

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