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今回の実験「あたらしいロゴをかおもじサインにしてみました」

細部を見る方法

昔から苦手なのが、感想作文。
 
小学校のころを思い返すと、
鑑賞教室に行っても
美術館に行っても、
なんだかよくわからなかった。
 
林間学校に行っても、
当時の自分は外泊=恐怖だったので、
できる事なら早めに帰りたい、
と思うばかりであった。
 
何かをみて、感動するということが
そんなになかったのではないか…
 
ここ数年でも…
友人の強い勧めで、人形劇を
ひとりで見に行った時を思い出す。
 
客席に入る前に、プレスの人に
つかまってしまい
「公演がおわったら、ぜひ一言お願いします」
と仰せつかった。
 
見ている最中は案の定ぼんやりして
特に何かを思うこともなく
(いや、思ったのだろうし、
観たこと自体が貴重な経験だったのだが)
出口でマイクを突き出され、
「約束通り、感想を」と求められると、
なにも思い浮かばない。
 
「あ、はい、そうですね。
うん。えーと、まぁ、ですね…」
うやむやにしてしまって、
帰り道に溜息をつくばかりであった。
 

 
こないだも富弘美術館に行ってきて、
毎度のように
「大したことなどなかろう」
というつもりでいたが、
めずらしく
少しだけ思うことがあった。
 
富弘さんという人は、
山登りと運動が得意の体育教師だったが、
20代の頃に運動の着地失敗事故で
首から下が動かせなくなってしまう。
 
それまで「絵の知識はなかった」
ようだけれど、
精神的にも、肉体的にも
苦しい数年の間で、
絵を描くことが気持ちの支えに
なっていった。
 
手は使えないので、
筆を口にくわえて描く。
 
体が動かないからこそ
当たり前でなんでもないと
思われている草花などの
自然に対して、
感動と共感とが通常ではないくらい
あったんだろうな。
 
そういう感動から
大切に、丁寧にしよう、という
繊細な視線と、筆の扱いが読み取れて
そこに圧倒される。
 
感じないと細部は見えない。
だし描けない。
 
自分はどうか、と思い返すと、
細部は見切れていないし、
うやむやにしていた。
 
富弘さんの稀有な体験から
学ばせてもらうことがあった気がする。
 
練習して、巧くなることはあっても、
練習して、より好きになる
ということは、なかなか難しい。
 
言い方が正しいかわからないけど、
絵の良さは、偏愛の強さに
比例しているなと思う。
 

 
…というように、
ちょうど自分の興味と関連することなら、
まあ、思わないでもないようだ。

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