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目を閉じて

目を閉じている時間が
だんだん愛おしく思えてくる。
 
ことに深夜。
布団に入るけれど、まだ眠りに落ちない
あの何分間かが、この上なく幸せに思える。
 
ちいさく灯りをつけたまま、
まだ眠らないぞ、と心に決めて
目を閉じる。
 
目の裏の色がもやもやしはじめて
活発に動く。
 
それが筆舌しがたい姿形となって
アクロバットな動きをする。
 

 
それがとても愉快なので、
ぱっと目を開いて
いままで起きたことを
メモしようとするけれど、
いざ書こうとすると、ほとんど
ぼんやりして書きすすめられない。
 
もっとはっきりと具体的に
目に映ることもあるけれど、
大体は「何か素敵なことが起きている」
という気分が澱となって残るだけ。
 
これが何とも惜しいくらい
陰微であり、悦楽なのです。
 

 
先日、埼玉こども自然公園内の
ビアトリクス•ポター資料館に
行ってきました。
 
そこで初版のピーターラビットの
絵本や、初期のポストカードや手紙、
彼女が(あるいは彼女に)
影響を受けた絵本などを見つめていると、
あの「寝る前の悦楽」と
同じような感覚が沸き立ってきた。
 
ビアトリクスは貴族の生まれで
あまり外に出してもらえなかった
そうです。
 
ちいさい頃の友人といえば、
ペットのうさぎや、リスやネズミ、
虫や爬虫類だったのだといいます。
 
動物たちは言葉を話したり、
互いに干渉しあうような
わずらわしいことをしないので
人間の友人よりも都合が良かった
のかもしれません。
 
家族が湖水地方に別荘を持つように
なってから、より自然に
親しむようになり、スケッチを
通して会話し、ふれあい、それ自体が
心の拠り所だったのではないか、と
想像しています。
 
愛おしいものに囲まれて
あるいはそれを丁寧に大切にしながら
暮らしてきたのだということが
彼女の絵本を見ていると
しんしんと伝わってくる。
 
本当に愛しいものは閉じた場所にある。
もっと籠っていたい、とぼくは思う。
 
でも「開く」ことも肝心。
ただ、ツイッターや
フェイスブックのように、
無闇に開けるのではない。
 
閉じているものを、
そのまま送り出す。
というつもりで表現していきたい。
 

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