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留守がちの感覚

子どもへの教育上、
「こうするとよい」という
ポイントがある。
 
たとえば、
「ことばを覚えるのには
体を動かすとよい。」
とか。意外にも。
 
単語はモノの名前を示すこともあるし、
擬音語みたいに抽象的な感覚を
示すこともある。
 
「しょうぼうしゃ」とか
「しんかんせん」なんかは
目で見れば、それだとわかる。
 
だけど、
「しゃきっと」とか
「のろのろ」とか。
いったいどういうことなのか
どう説明すればいいのか。
 
ことばを覚える、使う、ということは
他の人と共有する感覚を持つ、
ということに他ならない。
 
「ふわっとしたかんじ」
と聞いて、「ふわっと」っていうのは、
綿毛とか軽いものが宙に舞う感じとか、
高いところから飛び降りたときに感じる
イメージとか、そんな実際の経験が
ことばと結びついて、
理解すること、伝えることの手段として、
脳内に蓄積されていく。
 
だから、ことば遊びには体を動かすことが
大事なのです。
 
なんていうことは、
「いい子どもであれ」と願う親にとっては
取り入れるべき情報の
いい裏付けとなってくれる。
 

 
他にも、
「目で見た文字の形の認識、
文字を音に変換すること、
音を自分の口で発声する
というような
ことばを理解するまでの
認識の順序がある。」
 
こういうことは、
ことばあそびをなにか考えようという
ときにいい手がかりになってくれる。
 

 
だが!
だが、である。
 
裏付けばかりを
意識していると、
いつのまにか面白さのことを
置き去りにしている。
 
本来、
面白いということが一番。
 
おもしろいってなんだ。
ということは、
たぶん、頭で考えていても
ぜんぜんわからないんだと思う。
 
ちょっと、一息入れて、
トントコトンと
自分の脳内にある「感覚」の部屋の
ドアをたたいてみる。
 
留守だったりして。

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