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今回の実験「あたらしいロゴをかおもじサインにしてみました」

町の成り立ちを知りたいと思うとき

今、自分が住んでいる市、町は、
気がついたら、今のようになっていた。
 
だれがどうしたから、とか知らないけど、
ここに、こういう塀があって、電柱が、信号が、
ビルが、住宅が、公園が、神社が、
お地蔵さんが…。
 
ここ、いいなあ、という景色もあれば、
最悪だ、という場所もある。
そういう良し悪しメーターがある。
自分は敏感だと思う。人と比べようがないので、
他のひとがどうかはしらないけど。
 
とりあえず散歩好きな人は、景色に対して
敏感な人だと思う。
 
それで、あるいたり、自転車でうろうろしていると、
そこにある景色は、全部気がついた時から、
そうだった、と思う。
 
多分、重いものがずぶずぶ押しつぶしていくように、
個人個人の意図や思いでは、どうにもならないような
仕方のない事情や、特に思い入れもない、
短絡的な策略で、今のような町になってきた。
 
多摩地区、埼玉の狭山市あたりは、
自然と都市のちょうど境目にあたるような
ところで、
そこがどんどん、土地に興味のない人たちが
畑や、雑木林、公園、もろもろの上に
どんどん簡易ボックスみたいな住宅を
建てはじめて、
仕事、活動する都市部と、
寝る場所(郊外)をものすごく簡単な判断でぱっきり
わけてしまった。
 
郊外の郊外までいくと、
まだ、何十年と手を付けられていない、
そのままの場所もあったりして、
かろうじて、メーターは「良」を示す。
 
でも大体は面白くない。
散歩しながら、
そうか、ここは寝にくるためのところとして
都合良く整理されたところなんだ、と思うと
なんだか納得する。
 
これで、あたらしくこの土地に
寝る為に家を買った人が、
自分の住んでいる場所について、
関心を持つことができるだろうか。
 
ぼーっとしていたら、今みたいな、
つまらない町になっていた。なんてことがある。
 
はっきりいって、
自分の知らないところで、
町が成り下がることがある。
住宅街になって、本当につまらない。
 
自分がいまいるところがどこなのか、
どういう時代になっているのか、
波の上にふわふわ乗っていると、
そういうことがどうでもよくなってしまう。
 
これはヤバいと思う。

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