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現実に軍配

ちいさな子どもが、
「たいようってどこからくるの」
という疑問をもったとする。
 
そこで、こちらは
じゃあ、じぶんで考えてごらんなさいな、
と紙と色鉛筆をわたす。
 
よしきた、と言わんばかりに
机にむかってぐりぐりと描きはじめ、
これがなんなのか説明してくれる。
 
「これはふじさんで、たいようのおうちは
このなかにあって、
ふとんとおふろと、ごはんはマグマ。
あさおきると、たいようはここからでてくるんだ。
だから山のむこうからのぼってくるみたいに
みえるんだよ。」
 
ということを述べたとする。
たとえばこれが5才の子だったとしよう。
 
おそらく大抵の大人は、
この子は天才なんじゃないか、
少なくともかなりの才能と可能性に
満ちている、とかんがえる。
 
自分の力で仮説を立てることは、
そうやさしいものじゃない。
 

 
とはいうものの、現実は違う。
子どもの目線や体感だけから、
いくら太陽を観察しても、
「太陽の周りを地球が回っているから、
かくれたり、あらわれたりする。」
ということは、教えない限り、
知り得るはずは無い。
だから分からないの当たり前なんだけど、
想像と事実とはかけ離れたものになりがち。
 
科学的事実を、大抵の大人は
(といっても個人的な感覚なんだけど)
自由な発想と比べたら、つまらない、
と思うだろうなと予想できる。
 
発想は無邪気で豊かな方が面白い。
 
これが、いま、自分の中で
そうとも限らないぞ、という気持ちが
頭をもたげてきている。
 

 
大昔、インドでは、地球は大きな蛇と
象と亀の上にあるのだ、と思われていた。
 
こういうのって、想像するだけでたのしいし、
わくわくする。
 
一方で、地球は太陽の周りを回っている
星のひとつなんだ、という事実は
どこか味気のない話にしか思えない。
 
けれど、ちょっと話し方を変えるだけで
この事実ですら、奇妙に思えてくる。
 
たとえば、手のひらにのせたボールを
巨大な岩(それも高温で燃えている)の
近くに投げたら、
不思議な力でボールは燃える岩に引き寄せられ
遠心力とちょうど釣り合って、
ぐるぐると宙に浮かんだまま回りつづける。
このボールがわたしたちが住んでいる地球なんだ。
 
と言ったら、そんなこと、
現実で起こるはずがない!と思えてくる。
 
巨大な亀や象や蛇と同じくらい、
じつはヘンテコなことが起きている。
 

 
しかも、どうやらそれは、マジなのだ。
 
心霊も超能力も信じられないこの時代に、
不思議な力で引き寄せ合う巨大なボールの
上にぼくたちは住んでいるということが
ちょっとだけ、不思議に思えてはこないだろうか。
 

 
「風はどこからくるんだろう」
という質問に対して、
鬼が巨大なうちわで仰いでいる、
というのと、
空気でできたずっしりしたおまんじゅうが
おしくらまんじゅうして
とばされたおまんじゅうのかけらが
風なんだよ、
というのと、言い方によっては
どっちもおもしろい。
 
後者の方に追加点を与えるなら、
現実のことの方が、ことこまかに
興味を持って調べて行けば、
どこまでいってもきりがないくらい
神秘の面白さが待っている。
ということだ。

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