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無駄への意識

時間がなくなってくると
余裕もできなくなる。
 
そこであらためて
自分の能力の低さに気がつきます。
 
時間がなくなるというのは、
効率的にものごとを進めないと
いけないということで、
具体的には、電車の中で今日の
スケジュールを確認したり、
お風呂の中で今日の作文は
何を書こうかと考えたりなど、
無駄な時間を有効に使う必要がある。
 
けれど、それができない。
 

 
電車では、ぼーっと景色を
眺めているか、寝てしまうかだし、
お風呂の中では、
その日あった出来事の中で
一番どうでもいいことを頭の中で
再現して、ああだこうだ、と思う。
言うなれば「一人世間話」。
 
楽しくも、つまらなくもなく、
微量の後悔をエネルギーとして
ただ淡々と思い起こす。
なんの役にも立たない思考?をします。
 

 
ここでふと思う。
 
ぼくの人生の中の6割近くは
おそらく無駄で、記憶にものこらず、
無意識で、役にも立たないという
エアポケットのような時間。
 
こういう時間って本当に、
何にもならないのでしょうか。
 
広くてきれいな景色を見ると、
圧倒されたり、しみじみする体感に
心が和んだりしますが、
あれだって、何の役に立っているのか
分かったものじゃない。
 
日々の時間の積み重ねが、
自分の表現や人格に、一体何の影響を
与えているのか。
 
簡単に言えば、
意識が必要なのだと思う。
 
じぶんから何かに近づいていこうという
意識がないと感動も無駄になってしまう。
 
ほんとうに無駄な時間も、
無駄だと意識することで、大切な価値が
感じられるかもしれない。
 
ぼくは、そういう意識の焦点を
合わせるのにとても時間がかかる。
 
時間がたっぷりないと、
いったりきたり、ができない。
 
それがぼくの能力の低さなのだと
自己分析。
 
 

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