ことばの実験室 更新2019/7/15

本を読みたくなる理由

本を読んでいたい、という気持ちが
ときたま湧いてくる。

それはなんでだろう?
と思ったことが今までなかったけど、
あ、そういうことかも、
と気がついた。

そもそも、自分のことを
どれだけ自分で知っているんだろう、
ということから考えてみるんだけど。。

これは解剖学者の養老孟司が
なにかの公演で話していたことで、
寝ている時間って、自分で自覚がありますか?
っていう。

もっというと、
血液の量を自分で決めたり、
肝臓なんかの調子をよくするために
自分で内臓の動きを意識してコントロール
することも…、できない。

ちょっと話は飛びます。

最近、ミミズとか、なめくじとか、
無脊椎動物の生態を観察する動画を
みるのが好きなんだけど、
やつらは大体みんな同じような動きや
反応をする。

たとえば、
ヒルは塩がすごく嫌い、とか。
(かけると死んじゃうから
嫌いというレベルじゃないかもだけど)

死んじゃうと、さっきまでうねうね
ぐにゃぐにゃしていたのに
固くなった樹脂のようになる。とか。

なんでそうなるんだろう、
と不思議に思うし、ものすごく
うまいことやって捕食したり、
危険を察知したりして生きているんだな
と思う。
こういうことが、すごく「自然」に沿った
おおげさでもなく、億単位の年月が
累積した現象のように感じる。

人間の「意識」とは別物のようにも。

で、人間の「無意識」の部分。
細胞がいれかわったり、爪や髪の毛がのびたり、
内臓が働いたり、傷ができるとかさぶたが
出来るとか、食べたものを分解するとか、
人間の活動のほとんどは、
「勝手に」やっている。

さあ今から眠りにおちようとか、
眠りから覚醒しようとか、
ということにしたって、
自分でコントロールできない。

つまり、自分の体のなかにも、
ナメクジやヒルみたいな
自然現象がうごめいている。
(たとえが気持ち悪くてすみません)

自分が自分だって思っているのは、
「意識」しているわずかな分量でしかない。

それ以外は、分からない。
知識として知っていても、
感覚として分からない。

なので、
起きている時間の、わずかな意識を掲げて
「これが自分のすべて」と思っていることが
ちょっとおかしいということなんだけど…

さらに追い込みをかけるなら、
意識とか、考えの中にも、この無意識は
平気で入り込んでくる。

なんか今日は気分が落ち込むなとか
悩み事が尽きないとか、
ぼーっとしているときに、
ふと、思い出したことがあったとか、
僕らの意識は、そんな日々の気持ちさえ
コントロールできない。

つまり、ごちゃごちゃ。
基本「わからないだらけ」。
これが人としてのベーシックです。

さて、「本」の話に戻ります。

「本」は性質上、純粋な「意識」だけで
ほぼ成り立っている。

考えた事、感じた事、得たものを、
人と共有できるように
整理した「意識」によって作られる。

だから、本を読むと、
とても「クリア」だなと思う。

小説の主人公が、どんなに
迷っているような描写であっても、
それが、どのように、どんな意味合いで
迷っているのかが、はっきりしている。

人は、基本わからない。
そんな自分を不安に思うと、
分かっていたいと思う。

だから本を読む。
本は意識。
無意識など入り込む隙も無いくらい
びっちりと。

だから、本を読むと、頭もクリアになる。
これが本を読みたいと思う理由。

本を読んでいる間は、
「見えている」と思える。

田舎の山の夜空に見える星空に
自分の知っている星座をひとつ
つなげてみて、ほらみえた!
ぼくはこの世界のことを
よくわかっている、と
思うようなものかもしれないけど。

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