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最近、無意識

最近はほとんど無意識である。
作文を書いていないので、
文章化していない=ろくに考えていない、
と思った。
 
思っていること、
感じていることを文章化してみる、
ということを「意識」や「自覚」と
考えると、今の自分は
だいぶ無意識なのであった。
 
もっとも文章に書いていなくても
考えていたことはたくさんある。
でも、忘れちゃっている。
 
その場その場で、必要なことがあって
考えたり、思いついたりしたが、
それが必要でない今、引き出しがどこだか
分からなくなったような感じ。
 
また同じ状況に出くわすと、
セーブデータを読み込むように、
続きから考え始められるんだろう。
 

 
無意識というのは、すごい。
 
例えば、夏らしい景色をみたり、
夕立のあとの湿気に土や草の匂いが
充満しているところへいって、
ああ、これはいいな、と思う。
 
それから、絵や映画をみて、
なんかいいな、と思う。
 
ところが、いいな、と思って脳裏に
さも素晴らし気なイメージができた
としても、
気が付くと線香花火みたいに、
ぽとんと消えてしまう。
 
それをあとで、文章にしようとか、
絵で描いてみようかと、思っても
もう、なんだか
よく分からなくなっている。
 
でも、なんだかわからないのに、
すごいものをみているのは確かで、
すごいけど、それが
なんだかよくわからない。
 
逆にいえば、
なんだかわかんないのに「いいな」
と思える才能が、無意識にはある。
 

 
たとえば小説は意識の集合体。
一つ一つの文や台詞が必然性をもって
そこにある。
 
作るときは、普段無意識であるところを
全力で意識にひっぱる。
 

 
あ、そういう意味では、
絵や構成をずっと意識して描いていた。
 
文章ではなくて、絵で意識を集中させてた。
 
そうすると、絵はちょっとうまくなるけど
文章を書かないから、
ものすごく頭が悪くなったような、
というか、
面白いことを考えている人たちに
おいていかれちゃうような気分に
とらわれる。
 
もしかしたら、この作文は
そういうことに対しての
自分へのせめてもの償いとして
書いているような気もする。
 
もっとかけよ。

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