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文字の架け橋

言葉に生命力を、という
実感を作ろうとして色々試みていると、
ある壁にぶつかる。
 
意味をもたない文字列を
「表現」として成立させようとしても、
感覚として頭に入って来ない。
という問題。
 
いや、そんなことは当たり前なんだけど、
考えとしてはありうるかもしれない、
と仮定してみたところ、
そう簡単にはいかなかった。
 
たとえば「やしへさ」「あくけこ」とか、
擬音語でも、単語でもない、
本当にただのランダムな文字列が、
音として、あるいは錯覚かなにかで、
なにかしらのトーンを帯びる事が
あるのだろうか、と考えたのでした。
 
その実験の成果を
新しいトップイメージにしようと
思っていたのだけど、
全く効果として生きて来ない。
結果失敗に終わってしまった。
 

 
「っ(促音)」や「ー(長音)」が
単独では発音出来ないように、
あるいは、
「が」「に」「を」などの助詞が
それだけでは意味を成さないのと同じで
言葉をとして認識するにも、
あるつながりや一定のまとまりがないと、
意味や感覚として認識ができない。
 

 
言葉で仕掛けを作るときに
最もシビアな部分がそこ。
 
仕掛けの制約があるけれど
その中で一般的に、自然に言葉を
はめ込まないとならない。
 
ちょっとでも違和感が出ると、
一気にしらけてしまう。
 
頭で仮定してみることはできても、
その大体は、はずれくじ。
 
じっさいに考えた枠の中で、言葉が
自然に読めるものとして成立するかどうか。
これが一番の障壁となって立ちはだかる。
 
しかしながら、
「無意味な文字列だけど
感じるなにかがある」
ということをもうちょっと
考えてみたい。
 
言葉にとっての見る人(読む人)との架け橋が、
なんかこう意味寄りの認識ではなく、
もっと音的あるいはトーンとして
認識できる感覚を呼び起こしている、のでは
という性質があるような気がしてならない。
 

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