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今回の実験「あたらしいロゴをかおもじサインにしてみました」

5.7.5への翻訳

文には、いろいろな匂いがある。
 
そのエッセンスはどこにあるんだろう。
ぎゅっと語数を減らせば、その要素は
見えてくるだろうか。
 
たとえば、任意の文章を
5、7、5に翻訳して書き直しても、
その文に漂っている匂いっていうのは
損なわずに保てるのでしょうか。
 
いくつか試してみよう。

 
●まずは辞書っぽさ。
辞書って「知らないけど心地よい漢字」が並ぶ。
そして言葉はよく「転じる」ものである。
 
 
   春駒は転じて自由に駆けるさま
 
 
(うーん。。辞書っぽいかなあ。)
 
 
●次は、えほんの文っぽさ。
翻訳ものの絵本や童話は、
カタカナの使いかたがうまい。
「葉がチラホラと…」とか、
「ヒイラギの木」とか
日本語なのにカタカナで書く。
うっとりしてしまう。
 
 
   野バラたち帽子をとって歌いだす
 
 
(これは比較的やりやすい。)
 
 
●アメリカ文学の文っぽさ。
アメリカの俗っぽい感じって、
やたら長い名前のカタカナが出てきたり、
どこか寂しい雰囲気が重低音のように
ながれている。ような気がする。
 
 
  虚しさはマッシュド・ビーンズの連中さ
 
 
(負け犬どもがバーで言う愚痴みたいな。)
 
 
●哲学書みたいなかたい文っぽさ。
どの語をとっても意味があやふやなのが
お堅い文、という印象。
知識の集積のもとに、文と文の関係に
頭を働かせないと読めないもの。
 
 
無秩序の感覚的に非物質
 
 
(ここまでくると意味がわからない。)
 
 

 
などなど、
こんなふうに、
言葉と言葉の組み合わせにある
匂いにはエッセンスがあって、
それを抽出しようとするのはおもしろい。
 
「匂い」と、比喩したけれど、
読んでいて心地よい本というのは、
本当に香水の調合のような作用が
あると思う。
 
読書するって、物語の筋や、
意味を理解しながらも、
そういう匂ってくるものも
自動的に読み取っている。
というか察知している。
 
こういうことを慎重に面白がりたい。
 

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