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今回の実験「あたらしいロゴをかおもじサインにしてみました」

感想戦

記憶力というのは、
理解の程度と比例している
と思う。
 
訳も分からない数字や記号を
暗記するより、
語呂合わせで意味付けしたり、
最初の4桁が日付で、そのあとが
名前の頭文字をとったアルファベットで、
みたいな感じで、
意味を理解しているだけで、
記憶は定着する。
 
そういう意味でいうと、
自分は意味付けが苦手で
理解力に乏しい。
ということはつまり、
記憶力も弱いということになる。
 
実際そうで…、という具体例は
いくらでもあるけれど、
もっとも顕著なのは、その理由さえも
なんだかふわふわしすぎていて、
何のことだったか、
もう覚えていないということ。
 
これはひどい。
 

 
その点、
信じられないくらいすごいのが、
将棋のプロ棋士。
 
対局後、感想戦といって、
1局の過程を振り返って、
負けた方も、勝った方も、
お互いに最善の手を打てたのか、
というようなことを
勝敗がついてなお模索する、
というやり取りがある。
 
一回の対局で平均110~120手、
ということらしいけど、
それをほぼ覚えている。という。
 
「この手は、実はここに効いていて
だからこう打つと、
流れは変わっていた。」
 
みたいなことを上手な人に
ガイダンスしてもらえると
めちゃめちゃよくわかる。
という経験が自分にもある。
 
1手ごとの意味を
ちゃんと理解しているからこそ
なんだろうな。
 

 
話は変わって、
いま作っている絵本の話。
 
コンテを何度も描きなおした。
多分、10回は。(もっと?)
その10回の中には、
大きく変えた回もあれば、
微調整だけの回もある。
 
ここで将棋の感想戦を思い出して
欲しいのだけれど、
コンテの1回を将棋の1手と比べると
たかだか10回ほどの経緯を、
ぼくは覚えていない。
 
言葉あそびをストーリーにかなり
密接に食い込ませているので、
論理的にみて、世界観やルールに
食い違いがないか、とか
子どもたちの反応をみて、
あるいは読み聞かせをしてもらって
読みやすさがどうとか、
モニターして頂いた感覚とか、
その時々で、思うところや、
発見があって、
コンテを描きなおしている。
 
はずなのに。
覚えていない。
 
これはまずい。
実はちゃんと
理解していなかったじゃないか。
 

 
作ったものを宣伝の力で売ろう
という魂胆がそもそも悪しき習慣。
 
帯に著名な人の名を借りて…
とかするのって、
「世間に受けないかもしれない」
「この本の存在理由は弱いです」と
言っているようなもの。
 
それだったら、
自分で作っているものの経緯を
振り返って、
これがなんで世の人たちが欲しいと思うか、
どんな効果があるか、
これを、コンテ1回1回ごとを振り返って
考えてみたい。
 
つまり感想戦がしたいのです。
 
最近、気が付いたのだけど
ネットには論文というものが
たくさん公開されている。
 
言葉の認知に対する研究や
子どもが言語を獲得する過程の研究
絵本が認知活動にどう影響しているのか
などなど、
どういう効果を持たせたら…
という指針を求めたい身としては
読まない手はない。
 
そうなると、
新規性ってなんだろうと思う。
もしかすると、それって
オリジナルな解決方法であって
自己表現ではないんだな。とおもう。
 

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