ことばの実験室 更新2019/7/15

感じちゃう無意味

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↑こういうふうに、・(点)を
3つ打つと、人の顔に見える。

いや、人の顔以外でも、
その人が何かに「そう」見えたら、
「そう」見える。

木目や、壁紙のランダムな模様にも、
空にうかぶ雲にも、
缶ジュースのプルタブにも、
はたまた心霊写真にも、
なんでもないものが、なにかに見える、
ということがある。

人の認知や、記号論などを研究している
池上嘉彦の「記号論への招待」(岩波新書)
では、
「人間は、自分のまわりの事物に対して
意味付けをしないではいられない存在である。
しかもその際の意味づけは、
すべて人間である自らとの関連で行われる。」
と、書いてある。

本来まったく関係のないことでも、
意味ありげに読み取ってしまう、
っていうは、面白い。

個人的な体験でも、そんなことがある。
ジンクスなんかがそう。
「ちょうちょが前を横切ったら、
幸せの前兆」なんてことも、
思ったから、本当になるのであって、
本来そんなはずはない。

ことばって、気持ちや、考えを伝えるための
手段として使っているけど、
ことばあそびは、ことばを手段ではなくて、
それ自体を見つめるナンセンスな行為。

しかして、上記したように、
無意味なはずのものが、図らずも
気持ちとして伝わってしまうことがある。
それが面白い。

たとえば、これ(光のメッセージカード)とか。
ぼく自身は、遊んでいる感覚なのだけど、
人によっては、感じ入ってくださる。

その感動はぼくが作ったのではなくて、
あなたご自身のものなんですよ。
と言ってあげたい。

ぼくが興味をもつものの中の一つとして、
文字やことばを、意味や感情から、
切り離して、モノとして考える。
ということがある。

これが、要するにことばあそびの
要件の一つなんだけど。

でも、一方で、
ただの石ころをころがして、
その転がった様をみて、
意味にとらえたくなる占いのごとく、

ことばも、なにかしらの、
気持ちとして読まれてしまう。

何度も言うけど、
そこがおもしろいところ。

「気持ちを伝える手段」ではないやり方で、
ことばをこねくり回しているのに、
どこかで、
心理的作用、占い作用など、
感情に訴えるような表現と表裏一体に
思えてくる。

たとえば、
「ありがとう!」と口にすると、
幸せに向かう。とか。
「心配は、過去と未来にしかない。
いまの時間を大事に使うこと」
とか、
そういう自己啓発的な作用も
ことばってもっている。

「ありがとう」「いまでしょ」みたいに
思ってもみないことばでも、
思ったら、本当になる、という
効果について、
怪しいという想いもありながら、
絶対に見過ごせない気分もある。

まとめ。
ことばあそびは、
ふつう、ことばを音や、字面、
意味を切り離した文字単体を
バラバラにして、それを
パズルのように組み合わせてみる
おもしろさ。というイメージ。

だけど、ぼくは、
パズルのように扱うことばが、
人の気持ちや心理に作用する、
という副作用もある。と
昔からよく思うし、実感もする。

ことばあそびが、意図せず感情表現になる、
というのは、
ヘンな気もするけど、
そういう表現が成立するはずだよなあ。
と思うこの頃。

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